独逸発! あや太郎新聞

欧州での9年に及ぶ様々な経験を得意の毒舌を生かし、斜め左から書き綴っていきたいと思います。そして私が小学生のころ、学級新聞として書いていた「あや太郎新聞」をここで復活させたいと思います。

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なんだかんだと本業はネタにしてこなかったのだけれども、運動不足への反省とネタ不足のために敢えて触れてみる事にしました。

時をさかのぼる事、5月の中旬ぐらいに私は古楽とパンクのコラボレーションによるヘンデルのオペラ・プロジェクトに参加していた。

中々面白い演出で、宮殿という細長い空間を上手く利用してお客さんと密着した舞台を設置し、古楽器を使いつつも衣装はパンクという斬新な発想。

20代を中心とする若いオーケストラで、ビジュアル系の外見の人も多く、パンクの衣装が皆、やたら似合っていた。

舞台のクオリティは高かったが、やはり昨今の厳しい事情を踏まえてなるべく経費は削減したかったらしい。

まず電車賃削減のために、なるべく一番安いチケットを買わないといけなかった。

ドイツ鉄道の出している特別割引乗車券みたいなものはあるのだが、私はそれだと時間や電車を確定しないといけないのと、移動距離が結構あるのに高速特急のICEでは無く、快速のIC特急に乗って中々遠回りをしてたどり着く事になるのが流石に嫌だったので、交渉してバーンカード50という割引でのチケットにさせていただいた。

やはり行ってすぐにプロジェクトが始まる状態で、長い移動があるだけにあまり無理はしたくなかった。

さらに私は助っ人メンバーだったので、他のメンバーの様にベルリン在住ではない為、ベルリンではプライベートで宿泊先を探して欲しいという話になって、友達の所にお世話になることになった。

昨今の芸術関係の実情は実際に厳しいことだし、私も協力できることはなるべくしたかった。
ベルリンで練習を重ね、さらに全員でハノーファーに移動。ここでオペラの本番をする訳だが、プロジェクトが始まる前にオルガナイズしている人から一斉送信で

「公共の移動機関を使うよりも自転車を借りた方がすこぶる経費の削減にもなるし、5月でいい季節だし健康にもいいので皆さん、自転車でホテルから仕事場のレジデンスまで移動しませんか?」

というメールが来た。

それもいいかな?と私は自転車通勤を選んだ。どうもオルガナイズしている人がアムステルダム出身らしい。
何しろ自転車王国オランダから来たからこういう発想が出てきたのだろう。 中々素敵である。

それで初日に駅の近くの貸し自転車屋さんに自転車通勤を選んだオケのメンバーが全員集合して、そこから借りた自転車で、みんなで一列になってオケの練習場所のレジデンスに向かって出発したのだった。

これは壮快な眺めであった。20人くらい、1列になっての自転車移動だ。
さらに季節は5月で新芽の時期の美しいハノーファーを走り抜けるのは中々爽快だった。

欧州では右折や左折する時に、手を右や左に差し出して後続の自転車や自動車に方向指示しなければならない交通ルールがあるが、オケのメンバーが一列になって一斉に方向指示出したりするもんだから、後ろの方から見るとかなり面白かったらしく、後列から笑い声が沸き起こった。

コントラバスやテオルベの連中は元々楽器が大きすぎて自転車移動が出来ないのもあるが、それ以上にそもそも奴らは動くのが嫌いなタイプが多い様だ。
楽器を練習場所に運びこんでからも、あまり自転車族には加わらなかった。普段の楽器移動で疲れているのかもしれない。(チェロは楽器を運び込んでから二人とも自転車族になった。どうも人種が違うようだ。)

そういう訳で、それから毎日、朝晩8-10キロの自転車通勤。

これが結構きつい。

みんな結構スピードを出すので、ついていくので精一杯なのだ。
だんだん置いて行かれて死にそうになりながら追っかける事になる。初めは道順を覚えていなかったから、はぐれない為に必死だ。太ももにどんどん乳酸がたまっていく感覚がわかった。

しかし5月の新緑の中を、貸し自転車屋さんの手入れの行き届いたクオリティの素晴らしい自転車で街を走り抜けるのは実際、ものすごくいい気分だった。自転車はアルミ製で車体がものすごく軽く、5段変速の、今まで私が乗った中で最高の自転車だった。

後で自転車屋さんに自転車を返す時に

「こんないい自転車乗ったの初めて!」

と言ったら、どうもある程度時期が来たら中古にして売り払って新しい自転車に買い換えるそうで、その時期になったら連絡したら売ってくれるとの話だった。これには結構心が動いた。

ちなみに私の住んでいる街に比べてここハノーファーは緯度が高いから日も長くて、練習後に21時過ぎになってもまだ日が残っていてうっすら明るい中、自転車で帰り道を急ぐことが出来た。

仕事といっても座りながら吹いたり、小節数を勘定するわけで運動不足になりやすい職業だから、行き返りにこうやって運動するのは非常に健康的だといえる。

そして毎日の自転車通勤で太ももに筋肉がついてきているのがわかるから、これで私のひどい低血圧もかなり改善することは間違いない。

お陰で私は今までものすごい運動不足だったのを痛感した。
一日目にホテルに戻ってからの筋肉痛は凄まじかった。それも毎日積み重なって来る。
しかし嬉しいことにそのホテルが個室でバス付だったので、帰り道にバスソルトを買っておいて寝る前にゆっくり湯船に浸かることが出来た。

それにしても、随分と節約熱心なオルガナイズにも関わらず、それでもホテルだけは個室を取ってくれたのは真剣にありがたい。

以前、別の団体のプロジェクトで、同室のヴァイオリンの女が眠り込むと尻の穴が緩むらしく、夜中に爆音で放屁するのでよく眠れなかったことを思い出すとまさに天国だ!!。 あの時は

「狩猟民族は女でも放屁の大胆さまでレベルが違うのか・・・・」

と眠れない夜に思い浮かべたものだった。

大体1週間ほど毎日自転車通勤をして、健康になって帰宅したつもりだったのだが、その後に私はすぐに風邪をひきこんで寝込む羽目になった。

どうもその前から移動ばかりで疲労が限界に達してしまっていたらしい。

せっかくついた筋肉もそこで元に戻ってしまったようで後日、とても悲しかった。

最近、真剣に金欠病の凄まじい私は、ヒッチハイクサイト(Mitfahrgelegenheit Zentral)を利用して車の乗り合いで移動することがめっきり増えてしまった。

言うまでも無く、ドイツ鉄道の非常識な値上げも関係ある。最近、ヒッチハイクサイト利用者自体が増えた様に感じるのも、どう考えても鉄道の馬鹿高さによると思う。

ところで今回はスイス方面に移動だったのだが、行きはドイツ人でスイスの銀行で働いているお兄さんに乗せてもらった。

その時に話題になったのだが、もう一人の相乗りのお兄さんもよくヒッチハイクサイトを利用しているそうなのだが、スイス行きでは少ないがケルンの辺りに向かう連中が、ドイツのアウトバーンの1車線は速度制限が無いからと言って、平気で180キロ出して爆走する様な奴らばかりで恐ろしいとの事。

実は私も以前、ブリュッセルに向かうアウディに乗り合いさせてもらった時に、彼の言う所の180キロで、1車線で、追い越しかけて車間距離詰めて、右側通行の1車線の癖に常に左側にウィンカーだしてる危ない車に乗り合わせてしまったことがある。ものすごい攻撃的な運転で、いったいこの運転手はどんな人生を歩んできた人なのかと呆然としてしまった。乗っている間中、早く渋滞になれと祈り続けたのが記憶に新しい。

なのでお兄さんと「あれ、怖いよねー!!」と話していると、運転している銀行員さんは

「ああいうのは年齢によるんじゃないかな。僕も以前は180キロ好んで出してたけど、最近は速さの快感を追求するよりガソリン代のが気になるから定速運転を心がけてるしねえ。」

とコメントしていた。お兄さんは30代後半ぐらいだったが、思うに年齢は関係ないようだ。

今回は帰りの車も相乗りで、電話した時に既にこのノルベルトという運転手の兄ちゃん(後で話に聞いた感じでは40歳を超えている計算になる)は

「僕、スポーツカー乗ってて、ちょっとばかしスピード出すけどいい?」

などと言っていたので、また例の奴が出たな・・・と思い、もうあんな恐ろしい思いは真っ平なので別の乗り合いの車を探していたのだが、今回は何故か全て満席で見つからない。それにも関わらず、案外このノルベルトというお兄さんはこまめに連絡くれて親切でもあったので断るのも悪い気がして、結局乗っていく事になってしまった。

待ち合わせの場所で待っていると、颯爽と現れたのは漆黒のポルシェ。

まさかね・・・・とぼーっと見ているとお兄さんがニッコリしているので

「もしかしてノルベルトさんですか?」

と言うと当たりだった。

いつもの事だが、遠出する時、私はスリなどに狙われないように、出来る限り貧乏臭い格好にしている。
どうせ長距離を移動する時は途中で疲れて座り込んだりする事もあり得るから、綺麗な服では汚れるし、着慣れたヨレヨレのシャツとジーパンと擦り切れた黒靴という旅支度は、動きやすいし目立たなくてベストだと思い込んでいた。

そんなヨレヨレの私の前にポルシェが滑り込んできたのは、場違いはなはだしい光景だった。

ここには金髪でボディコンでも着て、ブランド物のハンドバックでも持った長髪の肉食系お姉さまがいなくてはならない場面だ。流石の私もどうしようかと戸惑った。

しかし考えても見たまえ!ポルシェに乗れることなんて人生そうそう無いのではないだろうか?
・・・・と気分を持ち直させて、お兄さんと握手と挨拶をして緊張しながらポルシェ様に乗り込んだ。

中は素晴らしいオーディオ装置が内蔵されていて素敵な音楽が流れており、

「なんでこの兄ちゃん、ポルシェ買う金があるのに乗り合いなんかしてるんだろう?」

と思ったが、やはり昨今のガソリン高のせいであろう。途中でパートナーにお兄ちゃんが電話していた時に、

「100キロぐらいしか走ってないのに10リッターも使っちゃったよ。」

と話していたのが耳に入った。こういう話を聞くたびに、トヨタのハイブリッドカーがリッター30キロも走るというのがどれだけすごいのか思い知るわけだ。

今までも乗り合いの恩恵でアウディやBMWに乗り込んでドイツのアウトバーンを走った事があるが、この二つでも相当、走り心地が違う。ポルシェ様はいかほどか??と期待したが、車高が低いせいもあり、思ったほど快適では無かった。きっとカーキチたちは、あのエンジン音などに惹かれるのだろう。

ところでちょっと前に、同業者の中でも超エリートの部類に入るMさんという方の車に乗せていただいたことがあり、彼も相当メカが好きな人でセスナ機の免許まで持っていらっしゃる凝りっぷりなのだが、彼の車の乗り心地は最高だった。車種は訊き損ねたが、1990年代の車を敢えてまだ乗りこなしていらっしゃる所にこだわりを感じた。

あの時も普通に180キロ出していたが、その時にポルシェの話が出て、

「ああいう300キロとか出る車はな、ブレーキから開発しはじめるんやで。」

とMさんがおっしゃっていた。300キロ出してもすぐに止まる事が出来るブレーキを開発してから、300キロ出せるエンジンを載せるのだそうな。

その話がどうやら事実だというのをポルシェ様に乗っていて感じた。

まず、加速が半端無い。

アウトバーンの1車線を走っていて、前の車がびびって道をポルシェ様に譲って前方に道が開けると、ロケットみたいに加速して周りの車をぶっちぎっていく。

よく私は追い越される方の車に乗っていて、隣をふっとんでいく明らかにカーキチの車を見かけていたが、今、自分がそれに乗っている立場なわけだ。

見たくない・・・・と思いつつ、横目で速度を見ると、軽く200キロ出していた。それにしても加速して200キロに到達するまでの早さが半端無い。

さらにこのノルベルトさんは、たまに前方に邪魔になる車がいると、性質が悪いことに車間距離を詰めて追っ払おうとするのだが、その時のブレーキの性能が凄まじい。

加速してギリギリまで来てからブレーキで瞬時に減速するのだが、かなりヒヤッとする所まで速度を落とさない。手を見ると明らかに指から汗をかいていた。嫌な汗だ。

それでも以前、ブリュッセルに行った時の運転よりは少しマシだった。あれは運転に悪意を感じたが、この兄ちゃんはぶっとばすのが好きなだけという感じを受けた。

それにしても一体全体、ポルシェなんか乗ってるこいつは何者なんだ?と思ったが、しばらくして彼が血糖値を測っているのに気づいた。おそらく糖尿病の若いうちにかかってしまうやつなんだと思うが、そういう事もあって、きっとこの人は太く短く生きるつもりなのではなかろうか。

話をしている感じでは至極普通の応答をしてくるし、別に苦手な感じも受けない。

後になって話していてわかったのだが、実はポーランドの南部の生まれでマルティナちゃんの同郷だった。

多分、国民性だと思うのだが、ポーランド人というのは、私の知り合いを見渡す限り、あんまり物事を深く考えないで、とにかく行動に移すタイプが非常に多い。ヘタリアに出てくるポーランドの性格はかなりいい線を行っている。

そこも考慮に入れれば、ポーランドの成金ならポルシェくらい乗っていても何の不思議も無い。
ドイツ人はこういう所はシビアでケチだから中々こういう使い方はしまいと思う。BMWに乗るので充分だろう。

それにしてもだ。トヨタやフォルクスワーゲンに乗っている時はBMWやアウディ、メルセデスにがんがん抜かされて行くというのに、ポルシェで加速して追い抜きをかけると、あのBMWやメルセデスがびびって道を空けるのだ。

そういう訳で、ポルシェ様にブロンドの兄ちゃんと乗り込むという、確かにあんまり出来ない経験は出来た。

しかし、お兄さんとヨレヨレの私とポルシェといういかにも不自然な組み合わせのお陰で、スイスからドイツへの国境付近でパスポート検査につかまり時間を取られるわ、お兄さんが調子乗って加速と減速を繰り返すもんだから無駄にガソリンを食いやがって、後で割りカンにするガソリン代を普段よりも多めに取られた。

もうポルシェは懲り懲りだ。金欠病の私は少しでもお金がかかる事は大嫌いだ。

お兄さんはちなみに、真夜中にポーランドからデュッセルドルフまでポルシェのフルスピードである300キロでぶっ飛ばして5時間20分くらいで移動したことがあるらしい。かなりガソリンを食ったそうだ。

もし私が車を買うとしたら、トヨタの燃費のいい奴で充分だと思った。ハイブリッドカー万歳!!





どうにも遅筆の私はしばらく書いていないうちに新しいネタばかりが頭の中で膨れ上がってしまう。

マカオの続きも書きたいのは山々なのですが、それを推敲する間に新しい話も出てきたのでそちらを先に書いてしまいます。

先日、私は再び経費削減のためにヒッチハイクサイトでスイスへの移動のための相乗りさせてもらう車を探していた。

いくつか出発地と目的地が一致した乗り合いが存在したのだが、3つほど問い合わせてみたのだがどれも満杯だという理由で断られてしまった。

そのどれもがスイスの携帯電話の番号でドイツ系、もしくはフランス系の名前だったのだが、一つだけイマームという、なんとなく中東・イスラム系の名前が目に入った。出発地、目的地への条件も完璧だ。

ちょっと大丈夫かな?と思わないでもなかったが、なんとなく大丈夫だろうという第6感を信じて連絡してみると、やっといい返事がもらえたではないか!

それで旅支度を整え、待ち合わせ場所の中央駅北口へ向かうと、現れたのはやはりトルコ人ぽい感じのおじさんだった。

しかし車の中で見てみると南米系にも見えなくも無い。いったいどこの国の人だろうと思いつつ、どのタイミングでそれを質問したらいいのか私はタイミングを推し量っていた。

もう一人の相乗りはアフリカの多分、スーダンから来た人で、(よく聞こえなかったが初めが「ス」だった。)カールスルーエで仕事が決まったので移動するのだと話していた。

その時におじさんが

「僕もカールスルーエには2年ほど住んでいたからよく知ってるよ!カールスルーエのどこで降ろしたらいいかな?」

と話し始めたので、私も話しに加わろうと、

「そうなんですか?私も一時期、カールスルーエにいましたよ。とても綺麗な街で住み心地がとても良かった!」

と話すと、おじさんも打ち解けてきて、おじさんもカールスルーエが大好きだったこと、でも今はフランクフルトで空港の仕事をしているのだと言うことなど話してくれた。

「君はちなみに日本人?韓国人?」

と訊いて来たので

「日本人ですよ。でも95パーセントぐらいの確立で中国人と間違われるんですけどね!」

というと、

「いや、中国人じゃないのはわかっていた。君の雰囲気は全然中国人とは違うよ」

とやけに確信的に言うのでその時はなんでだろう?と思ったが、その後で

「おじさんはどこから来た人なのですか?」

と訊くと、なんと東トルキスタン、つまりウイグル人だと教えてくれた。

アフリカ人のお兄ちゃんはそうは言われてもどこかわからない様だったので、すかさず

「それはシルクロードの入り口の辺りですよね。あの辺りの砂漠で昔、随分と中国が核実験をしたと聞いたことがあります。」

と話したら、

「そうだよ。だから中国は大嫌いなんだ!」

とおじさんは語りだした。

「あ、だからおじさんは私が中国人じゃないってわかったんですね?じゃあ、パスポートはもしかして中国なんですか?」

とちょっと差し出がましいことまで私は訊いてしまったが、おじさんはもう亡命してドイツ国籍を取得したのだそうだ。


「本当に良かったですね。私が聞いた情報では、中国では漢族以外はものすごい権利が少ないと言う事だったので・・・」

と言うと、


「そうだよ。チベットやウイグルはいつも迫害されてきた。共産主義って言うのはひどいもんだよ。ひどい環境を訴えてデモなんかしても、国に逆らった発言をしたら殺されちまう。だから出てくるしかなかったんだ。」

と身の上を話してくれたが、今まで上海で出稼ぎをして出国するためのビザのお金を稼いだり、随分苦労の多い人生だったようだ。よく見るとその苦労は、そのままおじさんの顔に刻まれていた。

同じ様に出稼ぎで国を出てきたであろうアフリカ人のお兄さんにおじさんは愛着を感じているらしく、途中のカールスルーエでお兄さんを降ろす時に

「頑張れよ!俺のジェームズボンド!」

と暖かく声をかけていた。ただ、なんでジェームズ・ボンドなのかは謎だったが、お兄さんもぶんぶん手を振って別れを告げていた。

その後、高速道路の休憩所で次の乗り合いのドイツ人女性を乗せることになっていたのだが、待ち合わせ場所に着いておじさんが彼女にいくら電話しても電話に出ない。

「彼女、バーゼルまで乗り合いお願いするって言って来て、俺の車以外に可能性が無いから絶対来いって行ってたくせに何で電話に出ないんだろう?」

と首をかしげつつ、応答が無いので走り始めてしばらく経つと電話が鳴った。

流石におじさんも切れて

「僕たちも休憩所で探し回ってたのに見当たらなかったじゃないか。せめて外で待って探すとか出来なかったのか?さらに電話に出なかったらこっちだってどうしようも無いじゃないか!!」

と相手に怒っていたので、大概の相乗りで良くあるように「僕たちはもう出発しちゃったからどうにも出来ないよ!じゃあね!」とおじさんも言うもんだと思ったら、

「2キロ先の休憩所で待ってるから今すぐ来い!」

とおじさんはヒッチハイクの相乗りにしては、かなり親切な提案をしてあげていた。

果たしてドイツ人女性は彼氏の運転する車でしばらくしてから現れたが、お陰で私たちは30分ほどロスをくらったわけで、おじさんはそれに対しては内心結構怒っていた。

それでも見捨てて出発しないで待っていたというのは、かなり親切だと私は感心していた。
しかし隣に座っているドイツ人女性はどう見てもトルコ系のおじさんを見て、怪しいと思ったらしく、ものすごい警戒心をおじさんに対して放っているではないか。

自分が待ち合わせ場所でちゃんと探しやすい場所にいないで彼氏とくっちゃべっていたんだろうに、さらにおじさんがわざわざ親切にその後で休憩所で待ってくれていたのにこの態度はいったい何なんだよ?!と流石の私もあきれたが、何の苦労も無く白人として生まれ育って、外国人なんて犯罪者だと決め付けている奴らは普通に多いのだ。世間なんてこんなものなのかもしれない。

それでも、おじさんが気の毒になったので両方に話題を色々振ってみたが、このドイツ人女は私の話には答えるが、やはりおじさんにはあまり話しかけない。

人を見た目で判断してはいかんなあ・・・と流石に他山の石を思わされた。

彼女はバーゼルで降りて行ったが、高速道路沿いにあるという理由で、バーゼルの中央駅ではなく、その手前の。バーゼル・バード駅というスイスとの国境のドイツ側の駅で降ろすことになった。

その事についておじさんは

「普通、車に乗せてあげた相乗りの人は、なるべく自宅近くまで運んであげたいのにすまないねえ・・・」

と言っていたので、流石のドイツ女も少し和んだ様で、

「いえいえ、高速道路沿いだし便利ですから充分ですよ!」

と返していて少しホッとした。

その後、おじさんにウイグルの文化について色々質問してみた。

言葉はトルコ語だろうと思っていたが、やはりそうで、古いトルコ語の特徴を今でも残している言葉だそうだ。
食べ物はやっぱりトルコ風なのかと思ったら、意外にも麺類やスープが多いそうだ。

「ウイグルっていうと、シルクロードのイメージで憧れるんですけど、あそこで仏教が西方の一神教の影響を受けて、阿弥陀仏や妙見菩薩となって、その後に日本にまで流れてきたと私はどこかで読んだのですが、今はイスラム教なのですか?」

と訊くと、やはりイスラム教なのだそうだ。ラマダンの断食もするそうで、今は仏教などの宗教は一様に共産党に消滅させられてしまったとのこと。

「今の中国人は金しか信じてないんだよ。」

とため息をついていた。

それにしても、亡命して国を出てきてしまったから、もう国には戻れないと言っていたけど、故郷に2度と戻れないなんて私には想像もできません・・・・と正直に言うと、

「でもいつの日か中国が民主化したら帰るんだ。その日が一刻も早く来るのを祈ってるんだ!」

と話してくれた。やっぱり、どんなに迫害された場所でも、故郷には帰りたいんだなあ・・・と思った。

私がYou Tube で見た事のあるウイグルは核実験か放射性廃棄物によって放射線量が非常に高くて、さらに中国政府の役人のひどい扱いに耐えかねて暴動が頻繁に起きているが、メディアが踏み入れることは厳しく規制されている大変な場所だった。

そこから亡命してきたドイツで、9ヶ月になる娘が誕生して幸せそうなおじさん・・・・(と、いうか、改めて見直すと、どうも苦労しているから老けて見えていたのかもしれないが、どうもよく見たらまだお兄さんと言える年代のようだが)それでもいつか故郷に帰りたいんだな・・・と切なくなった。

おじさんはウイグルに興味を持たれたのが嬉しかったのか、今度フランクフルトに戻ったら、ウイグル料理を振舞ってやるから連絡してね!と招待してくれた。

マカオに行った時も、生まれた国によって人生がここまで違ってしまうのか・・・と、あまりの中国内での格差社会をフィリピン人やインドネシアからの出稼ぎの人たちを見て思ったが、ここにも同様の思いの人がいた。

日本に生まれたという事の幸せを彼らになんだか申し訳なく思い知らされた。

ただ、おそらく彼と同じように放射能によって故郷を去らざる得なかった原発の被害に遭われた方も同じ日本に生まれたのだ・・・・。









私のマカオ行きは、まず、飛行機の予約の段階から難問が多かった。

仕事先のオルガナイズがあまり良くない・・・・という噂は、私の友達の中国人たちから既に噂として聞いていたのだが、1週間前辺りになってようやく日程を指定してきたから、既に推して知るべしだった。

何しろ、このハイシーズンである夏に、1週間前に飛行機を取らなくてはいけない状況に流石の私も焦った。

この時はまだドイツにいたのだが、この夏は日本に帰国するつもりで既に帰国便の飛行機のチケットを6月半ばに取っており、日本からマカオに飛ぶわけだから、今思えば日本の旅行会社でチケットを取っても良かった。

ただ、私がもう長い事、日本の旅行会社でチケットを取った事が無く、どうも日本の旅行会社のインターネットのサイトでのマカオ行きの出発便の検索がわかりにくかったので、手っ取り早くいつもチケットを買うドイツの航空会社で予約してしまった。

だから後で皆に馬鹿にされて気づいたのだが、香港に飛んでフェリーでマカオに移動するのが実は一番効率が良い方法だったらしい。
何しろドイツの旅行会社なんてマカオの事なぞ知りもしないものだから、その時は上海経由か台湾経由の選択肢しか出てこなかった。

台湾経由の便が台湾で1泊する必要があった為、台湾で帰りに憧れの故宮博物館をついでに見て帰るという誘惑があったものの、私は上海で中国国際航空からAir Macau を乗り継いで行く方を選択してしまった。

成田発8時55分発ー19時30分マカオ着だからその時は時間的にちょうど良さそうに見えたのだ。

成田国際空港では、何しろ飛行機も中国国際航空公司を使うわけだから、飛行機の中は既に中国人ばかりであろうと思ってドキドキしながら乗り込んだのだが、偶然かもしれないが、微妙に中国人の乗客と日本人の乗客はそれぞれ一緒にならない様に上手くまとめられていた。

だからありがたい事に私の周りは日本人のビジネスマンばかりで静かであり、後ろの方にいかにも中国人の観光客が固まって、大きな声で会話していた。

上海では乗り換え時間がなんと時差も含めて5時間もあり、中国国際空港をチェックアウトしてマカオ航空にチェックインするまで3時間ほど暇だった。それで少し円を人民元に換えてコーヒーでも飲もうとウロウロしていると、後ろから「くわーーー!!!」と、噂に聞いていた誰かの痰を吐こうとする音が聞こえてきた。

つい、私は好奇心がまさってどんな人なのかと振り返ってみてしまったのだが、予想を大きく裏切り、若い、普通の格好をした女の人が近くの植木鉢の根元に「ペッ!!」と痰を吐いていた。

それまでは外国とはいえ、そこここに我等が共通文化の漢字が溢れていて、私は日本の空港に似た感じを覚えて親近感を持っていたのだが、そこでいっきに自分がアウトサイダーである事を自覚した。

さらに私はつい、その女の人を珍しそうに凝視してしまった様なのだ。目が合ってしまったその女の人は、

「???」

と怪訝な表情で私の方を見ていた。彼女にしてみればもしかしたら、マナーを守って新築の上海国際空港のピカピカの床に吐かずに、植物の根にわざわざ痰を吐いたのかもしれなかった。

外を見ればなんだか濁った空が見えるし、噂に聞く凄まじい中国の大気汚染で、ああやって頻繁に痰を吐かなければ、喉が詰まって息が出来なくなるのかもしれない。まあ、私自身にそんな事は起こらなかったけれども。

マカオ行きに備えて、有名な中国ブログや中国の爆発ニュースには欠かさず目を通してきた私だったが、愈々自分がそのミラクルワールド中国大陸に足を踏み入れていると思うといきなりワクワクしてきた。

それらの記事には日本では考えられない体を張った冗談なのではないかと思える事件が数多く描写されていたのだ。

そもそも、出発の時に機内で配られた新聞の第一面が、例の高速鉄道の大事故だった事も、私のリアリティを増していた。中国語の新聞も手にとって見たが、流石に面子を気にする民族柄である。第二面に配置されていた。

空港での5時間はあまりに暇だったので、引き続きヒューマンウォッチングに勢を出したが、アジア人の顔というのは同じに見えて、なんとも種類の多いものだと思った。色々見ていると、絶対に日本人にはいない、明らかに中国人顔という人がたまにいて、浦沢直樹の漫画に出てくる中華街のマフィアの隠居にそっくりだった。

かといえば、知り合いにそっくりな顔も多く見かける。そもそも、私のドイツでの住処である中華ルームシェアの同居人である渓(シーと読む)にそっくりな中国人が多数いて、中国に滞在していた1週間の間に少なくとも5人は見かけた。

彼ももしかして中国人の代表の顔なのかもしれないが、前に遊びに来たMちゃんが渓を見て、

「ああいう人、クラスに絶対一人はいるよね・・・。」

と、コメントしていた様に、どこにでもいる顔の典型なのかもしれない。

麦克(マイクと読む)というもう一人の同居人は、実は知り合いのカウンターテナーの韓国人に瓜二つなのだが、彼自身が青島出身で、おまけに苗字が金だから、もしかしたら韓国系が入っているのかもしれない。

ただし、うちの同居人さんたちは、ゲストでよく訪れる辰君(チェンジンと読む)も含めて何故かみんな韓国が大嫌いなので、本人には怖くて伝えられないが、本人もたまに

「俺、韓国人大嫌い。ま、俺の名前、キムだけど!!(中国語ではジンと読む。)」

とネタにしているから、薄々恐れているのではないか。

そのうち時間が来て、マカオ航空に乗り込んだが、乗客の大概の人はマカオに帰るマカオ人か近くの出身者だった様で、明らかに周りが南方系のアジア人の顔になった。まず、背が低く、色黒で丸顔の人が多い。さらにただでさえせっかちな中国人の中でも、輪をかけてせっかちそうに見えた。

私自身は身長が170センチある上に顔が丸くないし、比較的肌の色が薄いから、明らかに異質だ。

スチュワーデスさんたちは、こんな所に滅多に日本人も乗ってこないし、勿論、中国語で話しかけてくるが、

「私、中国語出来ません。」

と英語で言っても諦めずに、

「マンダリンならわかりますか?もしかしてシンガポール人ですか?英語がいい?」

などと言って来る。日本人だとすぐにわからない様に、ヒューマンウォッチングをしながら中国人の動作などを観察しまくったが、とりあえず普通に誤魔化せるようだ。

ところでここでの第一の難関は、マカオに着いて無事にマネージャーさんが予約を入れてくれた旅館にたどり着けるかどうかだ。

行き方などは全てGoogle Map で出して印刷してきたが、万が一があってはならない。どうもマカオでは英語が通じにくいとガイドブックにもあった。

なので飛行機の中でマカオに着いてからやるべき事を整理し、降り立ってからすぐに両替してTourist Informationを探した。

タクシーはたまにボラれるとガイドブックにあった気がしたので、バスに乗って街の中心に出ようと思っていたのだが、インフォメーションのお姉さんが親切に教えてくれた所によると、バスではホテルの前まで行き着けないからタクシーにすべきだという事。
そんなに料金も高くないし、始めてマカオに来たのだったらなおさらそうすべきだと言うので、早速、的士と書いてあるタクシー乗り場に向かった。

ホテルの名前もポルトガル語と中国語の両方があり、タクシーの運転手は英語がわからないだろうから、とお姉さんは中国語のホテル名を書いて渡してくれた。

今だからわかるが、このお姉さんの機転が利いてなかったら、結構やばかった。
マカオでは本当に英語が通じなかったのだ。

さらに運のいい事に、タクシーの運転手さんが若い世代の上に、フィリピン人で英語が割合話せたので、意思の疎通が出来たのも実はマカオではかなり稀な事だった。

そうしてタクシーは夜のマカオへ滑り出した。

ちょうど日が暮れる所だったから、飛行機の窓からは海に面した港町だというのがわかったが、中心街はまさに夜に輝くネオン街で、日本では見かけない堂々としたキッチュさが明るく立ち並ぶカジノたちから発散されていた。

宿泊先は、今や植物人間なのではないかと噂される江沢民元主席も以前利用した格式高いホテルらしいと聞いていたが、どう見ても流行に乗り遅れた老舗ホテルという少し寂れた感じ。

でも上手い事に奥の角部屋をもらえたので、次の日のオーケストラのリハーサルのためにリードを準備するなどのちょっとした音だしを22時半頃までしていたが誰も文句を言わなかった。

(続く)


















同居人のお陰で、大分中国大陸の様子にも興味が溢れて来ている所に、たまたま中国から突発的なお仕事をいただいて、夏に日本に帰国するのと合わせてマカオに飛び立つことになった。

ドイツを中心に周辺のヨーロッパ諸国であれば、私は一人であちこちに出て行った経験はいくらでもあるのだが、流石に中国は初体験だ。

大体、欧州なんてものは、EU圏であればどこもそこまでかけ離れた環境ではないし、既にドイツに9年も暮らしていて欧州文化の大体の事を掴んでいれば、予想からかけ離れた様なことはまずあまり無いと思ってよろしい。

勿論、東欧では若干、状況が異なるから、私も始めてチェコを訪れた時にタクシーにボラれたくらいの経験はある。

それでも、それらは私が同居人の行動を理解するためにインターネットで読み漁った中国関連の情報ほどかけ離れたものではない。

今までで唯一私が戸惑ったケースは、意外にも英国だった。
1時間ではあるが、ヨーロッパ内で時差に遭遇した上に、電化製品のプラグも電流もEUの規格と違っていて使えず、おまけに車が左通行だった。どうせ同じだろうとタカをくくっていた私は、前調べを怠っていたのを現地で思い知らせれた。

特に左側通行なのは日本も同じだから大丈夫だろうと思っていたが、どうも私の場合、外国に出た時にスイッチが勝手に切り替わるようになっていたらしい。

外国スイッチで右側通行だと頭で勝手に思っていたらしく、英国の左側通行は寧ろいちいち意識して左を確認しないといけないぐらい危険だった。日本に帰国しているときは普通に左側通行だと認識できるのに不思議である。

しかし、よく見るとご丁寧に道路にも「Look Right」とか「Look Left」とか書いてある。
きっとEUからの旅行客がうかつに反対側を見ていて事故に遭ってしまう事が多かったのだろう。

しかし、そこまでするぐらいなら欧州規格に統一してしまって右側通行にしてしまえばいいじゃないかと思うのだが、コストの関係なのか、英国のプライドか。トンネルで大陸と繋がっている今でも左側通行で貫く島国独立根性は流石であった。

これぐらいの違いでもやはり初めて行く場所で一人旅だと戸惑ったりする訳だから、インターネットで得た知識では相当異なる世界であろう中国へ向かうのは私も丹念に準備をせざる得なかった。

何しろ、まずぶつかるであろう大きな壁は「英語が通用するかどうか」だ。

お隣の香港では元・イギリス領であり、香港人の独立心も強いだけに英語の普及率はかなり高いのを香港出身の友達たちを見て知っているが、マカオはわからない。元・ポルトガル領とはいえ、大陸の影響が寧ろ強いらしい。

大体、元・ドイツ領の青島で別にドイツ語がしゃべられている訳では無い様に、マカオでもポルトガル語はほとんど普及していないようだ。

さらに中国、山東省と山西省出身の同居人連中に聞いたところ、マカオで話されているのは彼らがしゃべっている北京語とも違う広東語で、彼らですら広東語はヒアリングでは理解できないらしい。さらに私は中国語の4声の区別がどうにも出来なかったので彼らに教えてもらっていたのだが、広東語は4声どころか8声あるという。

これは筆談した方が早いのでは無いかと思いつつ、とりあえずホテルは仕事先のマネージャーさんが用意してくれている様だし、そこまで辿り着けばなんとかなるだろうと飛行機を予約し、中国語の会話本を購入しながら準備を進めた。

実は私は高校生の時に中島 敦にとことんはまって、彼の著作は勿論の事、彼が影響を受けたであろう漢籍を読みたくて四書五経や諸子百家を手当たりしだい読んでいた。
お陰で漢文は当時は書き下し分が無くても大体わかる所まで行っていた。

その後、音大に進み、ドイツに留学して大分経った今、別分野に長く関わっているせいで得た知識は大分抜け去っていったが、今でも当時憧れていた様に実は一度は中国には行ってみたかった。

私の大好きな道教などの文化はおそらく中国共産党によってほぼ消滅されているだろうが、それでも人々の中にある伝統みたいなものは中々消そうとしても残るものである。

それにマカオや香港は本土に比べて寧ろそういうものが残っている可能性が高い。

そういう訳で、不安よりはまだ見ぬ地に行く好奇心の方が大分勝っていた。



(続く)

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