独逸発! あや太郎新聞

欧州での9年に及ぶ様々な経験を得意の毒舌を生かし、斜め左から書き綴っていきたいと思います。そして私が小学生のころ、学級新聞として書いていた「あや太郎新聞」をここで復活させたいと思います。

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東北関東大震災が起こって2週間半が過ぎました。

どんどん伝えられてくる現場の悲惨さ、問題の拡大化を毎日見せられ聞かされて、毎夜寝る前に「明日起きて見たら全ては夢だったら。」と思わずにおれません。


震災からはじめの1週間は選挙を前に反原発の煽りの入ったドイツの報道と日本の現状との狭間で私も私の友人たちはみな悩みました。

ドイツ人の親しい友人や同僚などから「なんで家族を呼び寄せないんだ?」と何度も言われて参っている友人も多かった。

彼らは口をそろえて

「日本政府はパニックを避けるために事実を隠している。パニックになって本当に脱出が不可能になる前に家族を呼び寄せろ。」

という理屈で真剣に言ってくれるのですが、ドイツの無責任な報道は初めから相当過剰であり、かと言って日本の家族や友人にそれを伝えてもどうにも出来ない状況での板挟みで心労を重ねた人は多かったと思います。

しかし私の見る所でも、明らかに22日あたりから日本でTV報道されている事実がより一層疑わしくなってきたように見えました。

「ただちに健康に問題は無い。」

という発言はかなり以前からされていましたが、放出された放射性物質の健康への害がそもそも10年単位の時間をおいてから発症するものであり、ただちに健康に害の出る放射線量といったら莫大なものになるというのをわかっていたら、これは情報としては何の意味も無い言葉の羅列にすぎない。当たり前だからです。

さらに食物への放射性物質の基準値を変えたり、既にわかっていたであろう事が何らかの理由により時間をおいて発表されると言う事が続いて私の疑いは強まるばかり。

仕方ないのでドイツで生活している同様の友人たちとお互い冷静になるために、得られた情報について話し合ったり意見を交換しているのですが、それが私にとって見えないストレスをどれだけ緩和してくれている事かわからない。

さらに問題なのが情報の収集方法で、公式でろくな情報が報道されないものだから、数値などで出て来ている情報から仔細を判断するか、個人で調べている人たちの意見などにざっと目を通す事にした。

大きな問題なのが、特に初めのうちに詳細が報道されないお陰で、放射性物質に対する対処法などがきちんと国民に伝えられなかった事。
こう言う事は寧ろ個人的に情報を発信してくれている研究者の方などの情報が非常に役に立っている。
日本に居る両親や友達たちが最も知りたい事はここだろうから、この事に関しては忸怩たる思いでいっぱいになった。

そもそも放射性物質の性質に対してはっきりと理解しなければ始まらない

情報の開示に対しては、今もって私の疑いは深く、政府が肝心な事を言わなければ、こちらは対処も出来ない事を考えると非常に腹立たしい。

だからこそ、ここで重要になっているのが情報の取捨選択であろうと思った。
これだけどの情報も確実でない状況下で、有用な情報をあぶり出す方法だ。

まず、デマと思われる情報にありがちなパターンとしては、霊感商法などを考えてみれば類似しているからわかりやすいだろうと思うが、大体が不安を煽る割に、その不安の根拠となる事象を数値をもって特定していないことである。
数値で無くても比較できる対象などがあれば本来ならわかりやすい。そういった提示が無いまま不安材料を並べるだけの情報は既に情報としての価値は低いか、素通りしていいものと私は判断している。

専門用語や専門的な知識を素人にわかりやすく説明する事も無く羅列するのもよくない。
ただし、結果的に情報が信憑性があるならこれは良いのだが、まずは人を煙に巻くためにわかりにくい表現を使っている可能性も疑った方が良い。

さらにどこから出てきた情報なのか、その根拠が記されていないものは論外である。
数値も出来れば複数の別個に採取されたモニターを比較してが望ましい。

加えてある友人が取り出した方法が、情報を発信している人の経歴までを調べ上げる事であった。これは賢いと思った。

例えば、表に出て来てしゃべっている学者の中には、原子力発電を推奨する著書をかつて出していた人もいる訳で、そういう人は電力会社とのつながりが無いとは言い切れない。そういう人が、例えば研究資金などを援助してもらっている可能性までを考えたら、原発に不利な情報をおいそれと提出するとは思えない。

こういう事から、「情報を発信している人、機関の利害関係」もかなり考慮に入れるべきだと言う事がわかる。もし出来る事ならば利の有る方と害のある方、出来れば中立なものとの比較をして判断したいものである。

主にそれらのフィルターを通してから、自分の判断でその情報を取るか否かを判断すればいいと思う。

それ以外の細かい情報は、伝えられている事が論理的であるかどうか、自分の今までに得た情報と合致していて客観的に論理が通っているかで刹那的に判断する場合もある。

こういう作業を友達が、

「例えば古楽を勉強していくうえで原典などを集めて当時の演奏習慣などを予想してどうフレーズを演奏するべきか判断する時の作業と類似している。」

と表現していたのが言い得て妙だった。

確かに我々は、残されている当時のオリジナルの楽譜や印刷譜、当時の演奏家を描いた肖像画、演奏法について記述された少し後代の著書、残されているオリジナルの楽器などから、ある曲が当時、どの様にどんな状況下でどう言った場合に演奏されていたかを分析して演奏に抽出して行く。

もしくは作曲家の経歴を見て、その曲がどういった国のスタイルの影響を受けていたか、どういう状況下で作曲されたかなどの手掛かりを掴む。

今やっている作業は、勉強のために普段からやっていた・・・もしくはやるべきスタンスと同じであった。

それにしても私たちが扱っているのは200年ー500年以前の事柄であり、残されているものから推測するしかない状況だからこういう手段を取らざる得ない。タイムマシーンで当時を見る事は適わないので、誰も当時はこうだった!と断言は出来ないのである。

しかし私たちが今、目の前にしているのは現実に起こっていて、現在進行形で事態が進んでいることなのだ。

パニックになるから開示できない情報が多々あるにしても、不明確な事があまりに多すぎて、日本に居る友人たちが困惑しているのも聞こえてくる。

こんな中で個人でガイガーカウンターで線量を計測したり、研究者が個人で必要な情報を発信している姿は非常に頼もしい。

いくらこうやって私たちが情報収集していようが、私や友人たちはドイツに居て、わが身で地震を味わった訳ではなく、原発からの距離は比べようもない。

日本に居る友達たちは毎日繰り返される原発の刻々とした変化に不安を感じ続けるのに疲れてしまって一刻も早く安心できる情報を心待ちにしているのがよくわかる。

それでも離れているからこそ、別の地に居るからこそ冷静に見る事が出来るかもしれない中から願うのは、

「テレビで言っているから」

「友達から聞いたから」

「みんなそうしているから」

という理由で大事な判断をして欲しくないと言う事です。

生きていく上での大事な基盤である飲料水ですら基準値を超えるベクトルが検知され、それが一週間後に知らされたりする。

こういう状況の中だからこそ、各自で情報を咀嚼して判断する事が大事だと思います。
それを大切な人たちに知って欲しい。

「あの時、あの人がこう言っていたから・・・」と言うのだとしても、実際その方法を信じるという判断をするのは自分であって欲しい。

実際そうです。後から違っていたからと言って、その責任を取るほどのお人よしは世の中にはほとんど存在しないはずです。水俣病やアスベストや血液製剤の話を考えれば、政府や公共機関でさえ間違う事が(隠ぺいする事が)多々あるのは周知の事実です。

疲れている精神状態だからこそ信じたいのは痛いほどわかります。でも自分の身は自分で守らないとどうしようもない・・・というのが、海外で生きて来ていつも実感している事である以上、大切な人たちにここでこそ、今でこそ伝えたいと思います。 






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