独逸発! あや太郎新聞

欧州での9年に及ぶ様々な経験を得意の毒舌を生かし、斜め左から書き綴っていきたいと思います。そして私が小学生のころ、学級新聞として書いていた「あや太郎新聞」をここで復活させたいと思います。

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12月に入る直前辺りから私の生活はほとんど休み無しの上に、ホステルに連泊してよく眠れなかったり、夜行列車で移動しなくてはならなかったり珍しく多忙を極めた。

ところが最後にクリスマスに小さなかわいい教会で演奏させていただいて仕事納めをしたら、パッタリと休日がやってきた。

とりあえず初めの二日間ぐらいは好きな事だけしようと思い、パソコンで前から気になっていた情報を追い掛け回したり、部屋を掃除したり、街に出かけてサボテンを買って殺風景な部屋に緑を取り入れたりしていたが、実は私は前からこの休みにやるべき事を実は溜めに溜め込んでいた。

*まず修士論文のための楽譜の清書と前書きの用意。

*部屋の片付けと整頓。

*オーボエの材の加工、内職

*楽譜の整理と製本

*来年度の各種連絡事項と日程決め

*未だに焦げ付いている各種支払いの催促

などなどだ。読まなければいけない資料や手紙類もある。全部ドイツ語だから決心がいる。(それでも苦手な英語じゃないだけどれだけかなりマシだが。)

それに加えて忙しい最中におろそかになっていた体力づくりも取り組みたい。

忙しいといえど、やってる仕事は数を数えたりたまにオーボエだかオーボエ・ダ・カッチャだかイングリッシュホルンだかを吹いてるだけだから、自覚があるくらい体力は落ちている。

さらにケチケチ根性を発揮しすぎて一時期忙しいのも相まってあまり栄養も取ってなかった。

それで疲れやすくなってきていたのをエネルギードリンクを飲んで無理やり回復させて誤魔化していたら、今度はカフェイン中毒みたいになってきた。 カフェインなしでは作業に取り掛かれないのだ。

これはいくらなんでも流石にまずいので、まずは友達とサウナと温泉に行きカフェインを抜く事にした。

ご近所さんから近くにいいプールがあるという情報ももらったから近々泳ぎにも行くつもりだ。

さらに自宅から遠くに見えている山にいつか登ってみたいと思っていたのだが、山登りもスポーツだ!と思い、このくそ寒いのに登ってきた。

これが中々しんどかった。最後は足がぶるぶるしてきた。

いつか帰省した時に富士山にも登ってみたいと常々思っていたが、あんな小さな山ですら死にそうになるんだから富士山は基礎トレーニング無しには無理だろうとここで自覚した。今のままでは高尾山がせいぜいだろう。

登りが凄まじくきつくて汗まみれになった。山の傾斜が激しい所では踏み出す一歩一歩に疲労が滲み出た。

とはいえ、少しでも足を踏み出せば少くとも少しは前に進む!頂上に近づくんだ!!と根性モードで乗り切ったが、流石に帰宅してから疲れがドッと出た。

帰り道は雪が凍り付いて滑りやすくなっていて危険な事もあり、登山電車を使うか悩んだのだが、4ユーロもするからケチな私には乗れなかった。

それでも山の空気は綺麗だったし、街を見下ろす景色は絶景だったし、いかに体力が落ちているのか自覚するには覿面だった。

これが一昨日の話なのに未だにスネが筋肉痛なくらい体は鈍っていた。

私がゆっくり登っていると、ほぼマラソン状態のおじさんなどが追い越して言ったが、彼なんかは日常的にトレーニングとして登山してそうだ。 春になったらまた私も再び登りにこようと決意した。


それにしても年末だというのに部屋が片付かない。こればかりは今まで成功した事が無いからどうしようもない。とりあえずファイルして書類を分類するという事を始めてみたから、来年度は今までよりも少しはマシにはなるだろう。

そういう訳で、クリスマス・ジルヴェスターの休暇を一人で寂しく過ごすのではなかろうかと心配してくれたヒッピー家族(以前、下宿していた家族)から「遊びにおいでよ!」とお誘いがあったのは中々嬉しかったのだが、案外やる事が多いし、久々に家でゆっくり出来る時間が出来て嬉しいので、このままここで作業を終わらそうかとも思う。

この共同アパートの地下の練習室もクリスマス休暇のお陰で空いていて練習し放題だ。

ちょっと面倒なのがご近所さんで、台所とトイレとシャワーを共用していて、自治みたいになっているのだが、みんなが帰省して全体数が減った分、個々の付き合いが密にならざる得ない。

しかし、彼らが仲良く映画なんかを見ていても、私はそこまでの時間は無いので付き合えない。
そろそろ付き合いの悪いやつと思われていそうだ。

それでも妙に多国籍でレバノン人やマダガスカル人がいたりして、この間はタジキスタン人が訪ねてきてレバノン人とイスラム教の信仰の深さに関して議論したりしていて面白い時は面白い。

この間はアルコールを飲むか飲まないかで議論していたが、レバノン人のモハメドは相当敬虔なイスラム教徒らしく、アルコールは飲まないし、豚肉以外もきちんと宗教的な処理をされた肉以外は食べない。
しかし水煙草はいっつも喫んでいるから「ストレス溜まってんじゃないのか?」と突っ込まれていた。

タジキスタン人とは私は

「タジキスタンてどこだっけ?」

という話から始まったが、

「あれ?サッカーで日本と同じグループにいなかったっけ?」

とふと思い出して「そうじゃん!」と話があったのはいいが、この間、実は8対0でぼろ負けさせてしまった相手だとすぐにその場でパソコンで検索した為に判明してしまった。川島がやたら暇そうにしていたあの試合だ。

「でもね、そのせいで話題に上がって、タジキスタンが震災の時にたくさん援助のお金を送ってくれたって皆知るようになったんだよ!!」

とフォローしておいたが、

「でもそれは日本がそもそもタジキスタンに援助してくれたからお返しなんだよ。」

と言っていた。それは私も知らなかった。

そんな感じで自宅で割りと引き篭もったような生活にも見えるが、年末は中々楽しく自宅で過ごせそうだ。

山の上の景色

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東北関東大震災が起こって2週間半が過ぎました。

どんどん伝えられてくる現場の悲惨さ、問題の拡大化を毎日見せられ聞かされて、毎夜寝る前に「明日起きて見たら全ては夢だったら。」と思わずにおれません。


震災からはじめの1週間は選挙を前に反原発の煽りの入ったドイツの報道と日本の現状との狭間で私も私の友人たちはみな悩みました。

ドイツ人の親しい友人や同僚などから「なんで家族を呼び寄せないんだ?」と何度も言われて参っている友人も多かった。

彼らは口をそろえて

「日本政府はパニックを避けるために事実を隠している。パニックになって本当に脱出が不可能になる前に家族を呼び寄せろ。」

という理屈で真剣に言ってくれるのですが、ドイツの無責任な報道は初めから相当過剰であり、かと言って日本の家族や友人にそれを伝えてもどうにも出来ない状況での板挟みで心労を重ねた人は多かったと思います。

しかし私の見る所でも、明らかに22日あたりから日本でTV報道されている事実がより一層疑わしくなってきたように見えました。

「ただちに健康に問題は無い。」

という発言はかなり以前からされていましたが、放出された放射性物質の健康への害がそもそも10年単位の時間をおいてから発症するものであり、ただちに健康に害の出る放射線量といったら莫大なものになるというのをわかっていたら、これは情報としては何の意味も無い言葉の羅列にすぎない。当たり前だからです。

さらに食物への放射性物質の基準値を変えたり、既にわかっていたであろう事が何らかの理由により時間をおいて発表されると言う事が続いて私の疑いは強まるばかり。

仕方ないのでドイツで生活している同様の友人たちとお互い冷静になるために、得られた情報について話し合ったり意見を交換しているのですが、それが私にとって見えないストレスをどれだけ緩和してくれている事かわからない。

さらに問題なのが情報の収集方法で、公式でろくな情報が報道されないものだから、数値などで出て来ている情報から仔細を判断するか、個人で調べている人たちの意見などにざっと目を通す事にした。

大きな問題なのが、特に初めのうちに詳細が報道されないお陰で、放射性物質に対する対処法などがきちんと国民に伝えられなかった事。
こう言う事は寧ろ個人的に情報を発信してくれている研究者の方などの情報が非常に役に立っている。
日本に居る両親や友達たちが最も知りたい事はここだろうから、この事に関しては忸怩たる思いでいっぱいになった。

そもそも放射性物質の性質に対してはっきりと理解しなければ始まらない

情報の開示に対しては、今もって私の疑いは深く、政府が肝心な事を言わなければ、こちらは対処も出来ない事を考えると非常に腹立たしい。

だからこそ、ここで重要になっているのが情報の取捨選択であろうと思った。
これだけどの情報も確実でない状況下で、有用な情報をあぶり出す方法だ。

まず、デマと思われる情報にありがちなパターンとしては、霊感商法などを考えてみれば類似しているからわかりやすいだろうと思うが、大体が不安を煽る割に、その不安の根拠となる事象を数値をもって特定していないことである。
数値で無くても比較できる対象などがあれば本来ならわかりやすい。そういった提示が無いまま不安材料を並べるだけの情報は既に情報としての価値は低いか、素通りしていいものと私は判断している。

専門用語や専門的な知識を素人にわかりやすく説明する事も無く羅列するのもよくない。
ただし、結果的に情報が信憑性があるならこれは良いのだが、まずは人を煙に巻くためにわかりにくい表現を使っている可能性も疑った方が良い。

さらにどこから出てきた情報なのか、その根拠が記されていないものは論外である。
数値も出来れば複数の別個に採取されたモニターを比較してが望ましい。

加えてある友人が取り出した方法が、情報を発信している人の経歴までを調べ上げる事であった。これは賢いと思った。

例えば、表に出て来てしゃべっている学者の中には、原子力発電を推奨する著書をかつて出していた人もいる訳で、そういう人は電力会社とのつながりが無いとは言い切れない。そういう人が、例えば研究資金などを援助してもらっている可能性までを考えたら、原発に不利な情報をおいそれと提出するとは思えない。

こういう事から、「情報を発信している人、機関の利害関係」もかなり考慮に入れるべきだと言う事がわかる。もし出来る事ならば利の有る方と害のある方、出来れば中立なものとの比較をして判断したいものである。

主にそれらのフィルターを通してから、自分の判断でその情報を取るか否かを判断すればいいと思う。

それ以外の細かい情報は、伝えられている事が論理的であるかどうか、自分の今までに得た情報と合致していて客観的に論理が通っているかで刹那的に判断する場合もある。

こういう作業を友達が、

「例えば古楽を勉強していくうえで原典などを集めて当時の演奏習慣などを予想してどうフレーズを演奏するべきか判断する時の作業と類似している。」

と表現していたのが言い得て妙だった。

確かに我々は、残されている当時のオリジナルの楽譜や印刷譜、当時の演奏家を描いた肖像画、演奏法について記述された少し後代の著書、残されているオリジナルの楽器などから、ある曲が当時、どの様にどんな状況下でどう言った場合に演奏されていたかを分析して演奏に抽出して行く。

もしくは作曲家の経歴を見て、その曲がどういった国のスタイルの影響を受けていたか、どういう状況下で作曲されたかなどの手掛かりを掴む。

今やっている作業は、勉強のために普段からやっていた・・・もしくはやるべきスタンスと同じであった。

それにしても私たちが扱っているのは200年ー500年以前の事柄であり、残されているものから推測するしかない状況だからこういう手段を取らざる得ない。タイムマシーンで当時を見る事は適わないので、誰も当時はこうだった!と断言は出来ないのである。

しかし私たちが今、目の前にしているのは現実に起こっていて、現在進行形で事態が進んでいることなのだ。

パニックになるから開示できない情報が多々あるにしても、不明確な事があまりに多すぎて、日本に居る友人たちが困惑しているのも聞こえてくる。

こんな中で個人でガイガーカウンターで線量を計測したり、研究者が個人で必要な情報を発信している姿は非常に頼もしい。

いくらこうやって私たちが情報収集していようが、私や友人たちはドイツに居て、わが身で地震を味わった訳ではなく、原発からの距離は比べようもない。

日本に居る友達たちは毎日繰り返される原発の刻々とした変化に不安を感じ続けるのに疲れてしまって一刻も早く安心できる情報を心待ちにしているのがよくわかる。

それでも離れているからこそ、別の地に居るからこそ冷静に見る事が出来るかもしれない中から願うのは、

「テレビで言っているから」

「友達から聞いたから」

「みんなそうしているから」

という理由で大事な判断をして欲しくないと言う事です。

生きていく上での大事な基盤である飲料水ですら基準値を超えるベクトルが検知され、それが一週間後に知らされたりする。

こういう状況の中だからこそ、各自で情報を咀嚼して判断する事が大事だと思います。
それを大切な人たちに知って欲しい。

「あの時、あの人がこう言っていたから・・・」と言うのだとしても、実際その方法を信じるという判断をするのは自分であって欲しい。

実際そうです。後から違っていたからと言って、その責任を取るほどのお人よしは世の中にはほとんど存在しないはずです。水俣病やアスベストや血液製剤の話を考えれば、政府や公共機関でさえ間違う事が(隠ぺいする事が)多々あるのは周知の事実です。

疲れている精神状態だからこそ信じたいのは痛いほどわかります。でも自分の身は自分で守らないとどうしようもない・・・というのが、海外で生きて来ていつも実感している事である以上、大切な人たちにここでこそ、今でこそ伝えたいと思います。 






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