独逸発! あや太郎新聞

欧州での9年に及ぶ様々な経験を得意の毒舌を生かし、斜め左から書き綴っていきたいと思います。そして私が小学生のころ、学級新聞として書いていた「あや太郎新聞」をここで復活させたいと思います。

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ポルトアーベントの次の日は、どうやら片付けに追われるからだろうけど、休みでその次の日に教会で結婚式だった。

初めの結婚式に比べると、まず参加者が少ないし、「証人」はいるだろうけれども(誰だかわからなかった。)「従者」はいなくて、割合「地味婚」だったが、落ち着いたいい結婚式だった。 再婚同士だからもあるだろう。

しかし、マルティナちゃんは気が抜けているのか、まず、お祝いで渡す花束を朝、車で取りに行って、疲れたのかその後ボーッとしていたために、着替えるタイミングを逃して普段着で参加する羽目に。

私はさっさと初めのうちに着替えていたので良かったものの、マルティナちゃんのボケボケっぷりにお母さん激怒。

「お前は何やってるのー?!時間無いのにボーッとテレビ見てるんじゃない!!もういいからそのまま来なさい!時間が無い!!}

ごぶち切れていた。またもやペナルティーとしてマルティナは平服で結婚式参加となった。

お母さんはかなり切れてガミガミ言っていたが、流石に出発前に

「もう、あんたに怒るのは疲れたから知らない。勝手にしなさい。」

と悟りに達していた。
親戚づきあいは大切にした方がいいのでは・・・と私ですらマルティナちゃんに突っ込みたい所であった。

教会でミサが終わると米が渡され、噂に聞くライスシャワーをみんなで実演。でもブーケを投げたりはしなかった。日本だけの習慣だろうか? と思ったが、先日、友達が別の結婚式で受け取り損ねたと言っていた。結婚式によって違うようだ。

この日もその後、結婚パーティーにみんな向かったが、マルティナちゃんが友達に会う予定があったので、私もそれに一緒に行く為に(何しろ、ポーランドでは言葉が通じないから通訳:マルティナといないと困るのだ。)パーティーには参加しなかった。

ただ、ご両親を迎えに行かないといけないので夜に会場に行くと別の車で来たヤチェクが既に居たのでお役御免であった。お母さんは遂にマルティナに愛想をつかしたらしい。

それでも親切な親戚達は
「せっかく来たのだからパーティーに参加していきなさい!」

と言ってくれたのだが、マルティナちゃんは疲れていて(どうやら騒音が嫌いらしい。)ダウン。
私は日本人なので、空気を読んで、親戚のおじさんとダンスをしていたが、マルティナちゃんは先に帰りたかった様なので、結局それに付き合わされて帰宅。
花嫁に帰り際に挨拶していたら、花嫁が悲しそうな顔をしていた。当たり前だ!!

でもここの会場レストランの食事はおいしかった。
私は前回、おいしそうな鶏肉を取ったら、ナイフとフォークが上手く使えずに解体出来なくてものすごい苦心したので今回、怖くて取れなかったが、野菜スープが結構おいしかった。鶏肉もきっと美味しかったに違いない。残念である。

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2日間にわたる結婚式が終わり、グッタリしたのも束の間、その週末には別の、配偶者と死別したもの同士のカップルの再婚式があった。

花嫁はマルティナちゃんの母の従姉妹だそうである。

今回は結婚式前夜のポルトアーベントというイベントから参加することになった。

ポルターガイストと同じ語源のポルトで「騒がしい前夜祭」と言う意味らしい。ポーランドでもこの地域独特の風習で、名前がドイツ語風なのもドイツとかかわりの深いこの地域らしい。

まずはマルティナちゃんとご両親で親戚の家に出発。
ヤチェクはこの日は仕事なので後から来る事になっていた。

到着すると既に親戚が数名集っていたが、みんな変な格好をしていた。

まず、ごついおじさんが何故か花嫁衣裳を着ていて、隣りに娘らしい若い女の子が花婿役なのかヒゲ面でスーツを着込んでいた。

他にもかなりガタイのいいおじさん(次の日、まともな格好で見たら意外にダンディだった。)がヒゲ面のくせにワンピースをキチキチに着てすね毛をだしつつカツラをかぶっていたりして相当シュールだった。

花嫁の母親でマルティナちゃんの大叔母さんが出て来て歓迎してくれたが、その横をみながトイレットペーパーを探しながらウロウロしているのを

「一体何に使うんだい?」

と不思議がっていた。大叔母さんはおそらく70歳以上なので普通にドイツ語がしゃべれた。
昔はこの地方はドイツ領だったようだ。

そのうちブラスバンドが到着し、近所の人達が面白そうに見守る中、ポルトアーベントの行列が始まった。

仮装した親戚達は空き缶を叩いたり引きずったりして、楽器が演奏出来る親戚は金管バンドで演奏しながら取りあえず村を一周。マルティナちゃんはこの日もノリが悪く、「行きたくない」と言い張って最後まで着替えなかった為、仮装していなかったもんだから、ペナルティーで写真係りになっていた。

花嫁と花婿の家の目の前で行列が止まり、お祝いを述べて、そこから全員庭に入って、持ってきた古い皿を割ったり、トイレットペーパーや空き缶を庭中に撒き散らして騒ぎまくってから、シャンパンで乾杯すると、またパーティーが始まった。

ブラスバンドが着席して演奏し始めるとみんな待ち構えていたように庭で踊りだした。

一番盛り上がっていたのが実はマルティナちゃんのご両親で、この日、「Wesele---!!」と叫んで盛り上げる役は主にお父さんで、その後、お父さんの弾くギターに合わせてお母さんは踊っていた。どうしてこの二人からこんなノリの悪いマルティンが生まれたのか。

既にマルティナちゃんは
「散歩に行こうよー」

とまた言い出して、また避難組になってしまった。
それで散歩に出て、マルティナちゃんの小学校を見たが、私の小学校よりも規模の小さい、田舎の分校みたいな所だった。近くに数学の女教師の家があって、
「この先生は最悪だったー!」

とマルティナちゃんが言っていた。なんとなく気持ちがわかる気がした。

散歩から戻ると既に宴もたけなわ。
庭に設置されたテーブルにお料理やケーキが振舞われていて、この地方独特のケシの実ケーキが食べられて私は幸せだった。

前の結婚式に比べてアットホームな感じで、この結婚式の雰囲気の方が私は気に入っていたのだが、マルティナちゃんに言わせると

「再婚式だからでしょ。」

と実も蓋も無かった。何しろお堅いマルティナちゃんは、死別しても相手に忠誠を誓う・・・とかいうのに憧れているのかもしれない。困ったモンである。

お互い子供もいて、残った人生を二人で静かに過ごす為の結婚式だから、こういうのも私はいいと思うのだが。

夜が更けて来ると子供達は眠そうになっててしまったし、隣りに座っていた大叔母さんが

「子供と老人は夜が早いからね。私はもう眠りに行くよ・・。」

と言い出したので、どうせ気が利かないであろうマルティナちゃんに

「暗くて足元が危ないから大叔母さんについて送って行かなきゃ駄目だよ!」

と言うと、大叔母さんがそれを聴いて感動して、お宅でお茶をご馳走してくれた。うちの祖母がよく転んで大怪我するので、気を利かしたつもりだったが、お陰で大叔母さんの家にいる猫を触らせてもらえた。

ちょうど子猫が生まれた所で饅頭くらいの子猫が3匹、母猫のミルクを飲んでいた。

大叔母さんは

「もし欲しかったら喜んであげるから!」

とおっしゃっていたが、流石に今の身分では猫は飼えない。実家の馬鹿猫にそっくりのブチだったので残念だった。

しばらくお茶を飲みながら話しているとドヤドヤとみんなが帰って来て、パーティーが終了したようだった。

盛り上がりまくっていたマルティナちゃんのご両親も戻って来たので帰路についたのだが、家について発覚したのだが、お母さんが盛り上がりすぎて、家の鍵から財布から全部親戚の家に忘れてきてしまっていた。

仕方ないのであとでマルティナとヤチェクと私で取りに行ったのだった。



さて、貸切バスにゆられて婚姻パーティーの会場のレストランへ。
またこのバスがアンティークなバスで昭和を思い出させた。

初め席が見付からなかったので立っていたら、隣りにいたマルティナちゃんの従兄弟が席を譲ってくれた。
そこでドイツ語が話せるバーバラという子と知り合った。彼女はマルティナちゃんの従兄弟のパートナーとして来ていた。 彼女は既に親戚や友達などの結婚式に9つも参加したそうで、この年は結婚式の当たり年だったようだ。

私はこの頃にはかなりお腹が空いていて、早くご馳走にありつきたかったのだが、レストランでまず、親戚・友達一同が集るのを待って、ウォッカで乾杯して、「証人」の男性が「i Wesele----!!」と叫んでパーティーが始まった。
「結婚式」という意味で、「証人」はこれを頻繁に叫んで結婚式を盛り上げる役目でもあるようだ。

私はウォッカ(40%)は流石に無理だったので、卵リキュールで代用。その後、スープを初めとして料理が次々出てきて嬉しかったが、想像していたより油っこくて閉口した。スープも油とスープ半々くらいなんじゃないかと言う割合。

後で知り合いに聞いたら、東欧の食事は大概びっくりするほど油っこいそうだ。独逸人がそう言ってるくらいだから、我々からしたら想像を絶する油っこさ。
こんな料理を1年食べたらコレステロール値はすごいし、心筋梗塞の可能性が広がるに違いない。

さらに豚の脂肪に肉や何かを混ぜたナントカ言う料理が出てきた。これはインターネットでこの国を調べた時にも出てきていて独自の料理らしいが、マルティナちゃんが

「これは昔は貧乏な炭鉱労働者のための料理だったんだよね。重労働だから脂肪がいるんだよ。」

と説明してくれた。見た目が気持ち悪くて一口でダウンした。ラードかなんかじゃないだろうか。

しばらくすると、舞台の上にキーボードやベース、ギターのお兄さん達が集り、演奏が始まった。

「美しき青きドナウ」の編曲で始まり、まず新郎・新婦が前に出てワルツを踊り始める。新郎が結構大きい人なので結構決まっている。新婦は丸顔でかわいいタイプ。

一通り踊ると「従者」の人達がいっせいに前に出て来て一緒にワルツを踊り、それにつられて他の(老人以外の)全員が踊りだした。

マルティナちゃんが非常にノリが悪いので、それに付き合って我々は最後まで見ていたが、マルティナちゃんのご両親はとっくに踊りまくっていて、ふと気付いて見るといつの間にか弟のヤチェクも踊っていた。その辺りで気付いたが、ヤチェクは「従者」の一人だった。ヤチェクは小さいし、紛れていて気付かなかった!

踊りが一通り終わるとまた食事の続き。
ここで気付いたが、踊りでカロリーを少し発散させないと、次の食事が入らないのだった。

近くの席にいるマルティナちゃんの伯父さんだか大叔父さんがどうやら「ウォッカおじさん」で、周りに居る人を必ず捕まえて、「かんぱーい!」してウォッカを飲むのが好きらしい。何度もウォッカを勧められたが流石に下戸なので断った。

その辺りからマルティナちゃん曰く
「私、これが大嫌いなんだよねー・・・」

という、独身の男女を中心としたゲームが始まった。大概、日本で言ったら3次会の悪ふざけゲームみたいなゲームを延々とやるのだが、独身の男女のペアがやるもんだとインターネットには書いてあったが、マルティナちゃんのご両親もしっかり参加していた。

段々わかってきたが、ご両親はかなりノリノリペアなのだった。どうしてこの両親からこんなにノリの悪いマルティナが生まれたのか。(ヤチェクは「従者」だから、全部のゲームに参加して盛り上げるのが義務である。)

この頃、マルティナちゃんが
「いつも働いてる工場の騒音が思い出されるから、こんなうるさい所にいるより外に行きたい」

と言い出してレストランの外に散歩に出たりしていたが、実際外に出てみると結構他にも「避難組」がいた。

何しろ最低でも夜中の12時までは続く結婚式なので、途中で休んでおかないと持たないのだろう。

その後、カフェが出て、アイスが出て来てケーキも来てまたダンス。夕食食べてゲーム・・・と延々続き、どれもこれも油っこい上に、結構その油が悪く、日本で行ったら寂れた温泉宿の食事に近い感じだったので(レストランが悪かったらしい。マルティナちゃんにも不評だった。)段々食欲も減り、「いつ終わるんだー・・・」となってきたら、それを見抜かれたか、ヤチェクとマルティナちゃんのお父さんにダンスに連れて行かれた。

この二人は流石に親子でどちらもノリノリ。
お父さんは流石にダンス経験だか結婚式参加経験値が高いのでダンスをリードするのが上手いのだが、何しろ157センチで小さいので170センチの私とではダンスを合わせるのが難しかった。ヤチェクも165センチくらいなので同様。ただし若さ故のスピード感で補っていた。

マルティナちゃん一家は小さい家族なので、私が来た時に
「日本人なのになんて大きいんだ!」

とびっくりしていたらしい。
私は家族でも一番小さいので、うちの家族を見たらさらにびっくりするだろう。オヤジも弟どもも180以上あるのである。

夜も更けてきているのにダンスはさらに盛り上がり、最後は手をつないで全員が会場中踊り回っていた。こんなのは流石にドイツではないだろうな・・・という実感。 流石スラヴ系のポーランド人。

のちに知り合ったトーマシュというマルティナちゃんの友達と、知り合いのやたらスキンシップを取って来る滅多やたら親切なロシア人女性について話していたとき、

「東欧のスラヴ民族は感情豊かだから、表現も大袈裟なんだよ。まあ、僕らは東欧と西欧の中間くらいだからそんなでもないけどね。」

と言っていたが、そんなでもあると十分言える状態だった。

夜中の12時になると、そこで花嫁はベールを取って別の女性に渡す。そこで「人妻」だと言う事になるらしいが、そのベールが誰に渡されるのかと思ったら、ヤチェクのパートナーのアニエシュカだった。

これが済んだらパーティーも終わりに近いらしい。
そこからゲームをまたして、最後に全員で踊ってその夜は終了。バスで途中まで帰宅して、その後、運転用に飲酒を控えていたマルティナちゃんの運転で家に帰ったのだが、バスの中は酔っ払いだらけで、途中道を間違えていたのに素面がいなくて、話がこんがらがっていて結構大変だった。

ちなみに終了したのが夜中の2時。就寝したのは4時に近かったはず。

なのに次の日はNachfeier だとか言ってまたパーティー。
しかも、たまたま花嫁のお母さんが50歳の誕生日だったので、次の日10時半からそのお祝いのミサ。

同じ親戚一同が集ったが、流石に皆、朝早すぎて顔が死んでいた。

ミサの後、また同じレストランに集り、外で待機していると「Wesele---!!」という掛け声とともに「証人」到着。そこにいた若いペアもその声を聞いて、
「もういいよ・・・」
というモードを醸し出していたのが中々ウケタ。

そこから再びパーティー。昨日同様、ウォッカで乾杯してダンス。花嫁は既にベールを取っているので、今日は違う色の華やかなドレス。

内容は昨日と一緒だったが、マルティナちゃんも私も流石に疲れたので頻繁に外に避難していた。
途中、「従者」のくせに、ヤチェク達も避難に来て、話し込んでいたらお母さんが探しに来てしまった。
ノリが悪すぎたらしい。

2日目はでも、流石に18時に終了。新郎・新婦にまたお祝いを言ってお土産のケーキを新婦の母からいただいて帰宅。
流石に全員グッタリであった。

しかし、その週末には、今度はマルティナちゃんのお母さんの従兄弟の再婚式が待っていた・・・・。

「続く」


2008年、8月半ばから、私は一人で従姉妹の結婚式にどうしても参加したくない友達のマルチンのために、ポーランド南部、チェコ国境からほど近いヤショーナ村に2週間滞在する事になった。

何故かと言うと、ポーランドの結婚式は基本的にカップルで参加する。そうしないと踊る時に相手がいなくて困るからで、恋人がいない人は友達に頼んでついてきてもらうのだ。

この時、私は初めてのポーランド行きだったので、マルティナちゃんがいつも使っている長距離夜行バスに乗り込んで15時間の移動の末、オポーレという街にたどり着いた。
この時は二人で乗ったので、「道行き」に書いた時ほど大変では無かった。やはり旅は道連れで、トイレに行く時など、相棒がこれほどありがたいと思う事はない。

行きのバス停で待ち合わせた時、マルチンは家族や友達たちへのお土産でいっぱいのカバンを持って現れて私をびっくりさせたが、バスに乗る為に徐々に集ってきた乗客たちも同じように誰もがお土産を山ほど抱えていた。

ほとんどがやっぱりドイツで出稼ぎをしている人たちで、夏休みを利用しての帰省なのでここぞとばかりに家族にお土産を買い込んだのだろう。

ふと乗り込もうとしている子供を見ると、10キロの洗濯洗剤を大事そうに運んでいるのでマルティナちゃんに

「なんで子供が洗剤持ってるんだ?!」

と質問すると、

「ドイツの洗剤の方がいいから買っていくんだよ。私たちの国は昔、ロシアに散々物資やお金や食糧を摂取されていたから未だに復興しきれていない事が多いんだ。」

と、実にシリアスな事情だったのにビックリした。
一体どんなとこにこれから行くのか・・・と思っていると察しのいいマルティナちゃんが

「どんな所か不安なんでしょう?」

とすぐに反応してしまった。

「いやー、友達Aの親戚の家(ちなみにモルドバ共和国)には水道も電気も無かったと言う話を聞いてたから何も驚かないよー。」

と言うと

「水道と電気くらいあるよ!!」

と少し怒っていた。

バスの中は既に異国で、既にドイツ語は聞えず。
何しろ15時間の移動なのでDVDで映画が3度くらい上映されていたが、1回目が終わった頃には私は持ってきたおにぎりの夕食を終えて寝入ってしまった。

途中、マルティナちゃんがものすごいはっきり寝言を言うので話し掛けられたのかと勘違いして何度も起こされたが、最後にグッスリ眠って起きるともう隣りの国に入っていた。 うっすらと夜が明けていた。

旧共産圏特有の、石炭ストーヴの煤で灰色の日本の団地にそっくりな建物が立ち並び、明らかに寂れた景色。

でもマルティナちゃんは
「やっと故郷だー!」

と幸せそうだった。

マルティナちゃんのお父さんがバス停まで迎えに来て下さって、そこから家まで車で走ったが、道々の景色がまるで田舎。当時、私が住んでいた南ドイツ山岳部の田舎村の景色とほとんど変わりが無いので、15時間移動したのがまるで嘘の様であった。

少し違ったのは、街路樹が、ドイツでは事故が起きると危険なので道路の片側にしか植わってないのだが、ここではまだ両側に街路樹があって、緑のトンネルみたいになっているのが綺麗だった。
ドイツでも東側にはまだ残っていたりする。

ヤショーナ村に着いたその日が日曜日だった為に、その後
すぐに近くの巡礼地にある教会のミサに行く事になった。

国の95パーセントがカトリックというこの国では、生活にキリスト教が染み付いている。

次の日は、晴れ着を全然持ってないマルティナちゃんの為に、街に買い物に行き、その次の日が結婚式だった。

結婚式はまずミサで始まる。マルティナちゃんのご両親と4人で車に乗って出かけたが、その時点でふと、マルティナちゃんの弟のヤチェクが何でいないのかな?と気になった。

教会に着くと入り口に10数名の正装した若い男女ペアが並んでいて、私たちはその間を通って教会に入った。
後で教えてもらったが、この10数名の男女は「従者」の役の人たちで、結婚するペアの友達・親戚の有志で構成されているそうである。彼らは男性はスーツ、女性はドレスで完全にフォーマルに着飾っており、私は自分のみすぼらしい服が少し気になった。

「従者」の先等にいるのが「証人」の役目の男性で、これから行われる結婚式の「証人」であり、さらに結婚パーティーを盛り上げる大切な役目なので、おそらく新郎の親友がやっていたのだろうと思われる。

教会に全員入場し、準備が整うと「従者」のペアは真ん中の通路に女性と男性に別れてひざまずいて待機。彼らが着飾っている為に、結婚式自体が彩られてかっこよかった。

ミサはカトリックの通常の儀式に従って進んだが、私が知っているのと違ったのは、最後に献金する為に前に出るのだが、その時に男女別れて行う事だった。初めに全ての男性が前に進み、終わると女性の番だった。私は取りあえず隣りにいたマルティナちゃんのお母さんにくっついてなんとかこなした。これも正装した参加者全員が行うので、晴れ晴れとした儀式だった。(ちなみに通常のミサでもするらしい。)

儀式は新郎・新婦が神父さんと証人の前で一生ともに歩む事を誓い、指輪をして終了。教会で結婚式をあげると、この国では相手が死んだ場合以外、基本的には離婚後、再婚できないらしい。
どうしても再婚したい人は、戸籍上でだけ結婚するそうである。そうはいっても、離婚する人も多いそうでなのだが。

儀式が終わると外で一人一人が新郎新婦にお祝いの言葉を伝える。ライスシャワーはこの時は無かったが、実はもう一回あった別の結婚式(配偶者と死別したペアの再婚式だった。)ではあった。

それからバスでレストランに移動して、この国の有名な長い、長ーーーい結婚パーティーが始まるのだった。  (続く)




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