独逸発! あや太郎新聞

欧州での9年に及ぶ様々な経験を得意の毒舌を生かし、斜め左から書き綴っていきたいと思います。そして私が小学生のころ、学級新聞として書いていた「あや太郎新聞」をここで復活させたいと思います。

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ここ数年、毎年のようにドイツ鉄道が値上げをしたために、乗り合いヒッチハイクのサイトで同じ方面に移動する人を募って車で乗り合いしてガソリン代を割り勘にする移動方法を取る人たちが静かに増えてきている。

これは大体の場合、携帯電話で運転手に連絡を取って、席が空いていたら待ち合わせ場所を指定してもらって乗り合わせて目的地にまで運んでもらう。以前、オランダに頻繁に出かけていた時によくこの方法を利用していた私だが、ここ最近は時間に余裕が無くて寧ろ列車移動の方が多かった。

だが、久しぶりに節約してみようと、フランクフルトからベルンに向かうのに、途中のフライブルグまで15ユーロという設定の乗り合いが存在したので利用する事にした。(今回はフランクフルトからベルンまでの乗り合いが存在しなかった。)

待ち合わせ場所のフランクフルトのガールスヴァルテ という所に行くと、すぐに赤いフォルクスヴァーゲンが目に入った。お陰ですぐに待ち合わせた運転手を見つける事が出来た。

今回は運転手のカップルがミュルーズというフランスの街まで移動するのに便乗して、途中のフライブルグまで乗せてもらう設定だった。

二人とも名前は忘れてしまったが感じのいいカップルで、今までの乗り合いでは気難しい銀行員だとか、実は嫉妬深いテラピストや、出発直後から延々と喧嘩を始めるカップルなんかとも乗り合わせた事がある分、今回の二人の雰囲気の良さに私は内心ホッとしていた。

車はマイクロバスで、中にはなんと台所が設置してあった。
後で分かった事だが、二人はアクセサリーの販売などをしながらあちこちを渡り歩いているジプシーさながらの放浪ヒッピーだった。

移動途中のダルムシュタットでもう一人の乗り合いのメンバーのカロリーヌが乗ってきたのだが、なんと彼女は先週まで研修でイランに居たそうで、かなり大き目のバックパックと、ぱんぱんに荷物を詰めたボストンバッグで車に乗り込んできた。

彼女は車内を一目見て、このカップル達が自分と同族だと見抜いたらしい。
彼女が色々とこの移動生活型マイクロバスについて質問しているうちに、カップルが、

「私たちは住所はベルリンに申請してはいるけど、実はこの車に住んでいて、移動しながら生活しているの。」

と話し出した。大学を卒業した頃から放浪を始めた様なのだが、初めは自転車でキャラバンを組んで時期を決めた移動生活だったのが、思い切ってこのマイクロバスを買って、車内で生活出来るように改造してからは、もう3年も放浪生活を続けているそうである。

今、私とカロリーネが座っている後部座席をずらせばベットになるそうで、さらに天井についている板を延ばせば2段ベットにもなると言う。最大で4人で寝泊りしていた事もあるというからかなりのツワモノヒッピーだ。

内装も良く見ると、私が以前住んでいたヒッピーアパートでも良く見かけるインド綿の布で装飾されていて、見れば見るほど雰囲気にヒッピー臭が漂っていた。

類は友を呼ぶと言うが、私もヒッピーアパートに住んでしまってから、自然にこの世界の人たちと関わりが増えてしまったのかもしれない。

さらにカロリーネ自身が放浪好きな若者で、今まで彼女自身も仲間と車でインドまではるばる旅をした事があるそうだ。カップルたちもインドを訪ねた事があるとお互い盛り上がっていたから、あそこにはヒッピーの聖地があるのかもしれない。

カロリーネの友達には4月にベルンから自転車キャラバンで出発して、バルカン半島を抜けてトルコに入り、今はイランに達している・・・というヘビーな人もいるそうだ。

そういえば、去年、たまたま引越しの関係でヒッピーアパートに1ヶ月戻っていた時に、アパートの地下で自転車のメンテをしている人を見かけたのだが、かなり本格的な自転車だったので、

「どこか遠くに行くの?」

と訪ねると、フランクフルトからポーランド、ウクライナを抜けてロシアに入り、そのままウランバートルを抜けて中国沿岸部か朝鮮半島からフェリーに乗って、最後は日本までたどり着くキャラバン隊を計画していた。

ベルリンのロシア総領事からやっとロシアの滞在許可証が届いたから、早晩出発するという事だったのだが、あれは9月に出発だったから、よく考えるとロシアで冬を越さなければならない旅だから相当ハードだったんじゃなかろうか。

ストリートミュージックをしながらの旅だと話していたが、東欧ではそれほど金になりそうもないし、上手く日本までたどり着いたのだろうか。

それにしてもどれも魅力的な話だ。
カロリーネもたまに大学に戻って同級生達に旅の話をすると皆、羨ましがるそうなのだが、みな口を揃えて、

「いつか時間とまとまったお金が出来たら私もやりたいな!」

と言いはするが、実行する所まで行った人はいないらしい。
それで大学に戻っても、他の人たちとはいまいち感覚が合わなくなって、退屈でまた彼女は旅に出てしまうらしいのだが、

「いつか、じゃなくて、やりたい事は今やらなくちゃ!!若い時にしか時間は余ってないんだから!」

と言うのが彼女の理屈らしい。やり始めてしまえば放浪生活は実際、なんとかなるそうだ。

放浪生活で重要なのは必要最低限のものを選別して持っていく事だが、初めのうちは何が最低限必要なのかの判断が出来なくて無駄な荷物を沢山持ち歩いてた、とカロリーネにつられてカップルも話し始めた。

「でもね、始めた頃は2年が限度だと思って始めたこの放浪生活も、いつの間にかもう3年も経っていたんだよね。どうも中毒性があるみたい。」

という話だった。移動生活が多い私にはなんとなくわかる気もする。

実際、自分自身も移動生活に追われている方が何故か活き活きしている時が多い。

見知らぬ土地ではじめて会う人たちとその生活を知る事はいつでもワクワクさせられるが、いつまでも出来る事では無いのも確かで、それだからこそ、その時間が輝いてしまうのかもしれない。

彼らは完全な「放浪性ヒッピー」だが、カロリーネはどうも「半放浪性ヒッピー」の様だ。たまに大学に戻って研究生活もしているらしい。

この分類だと、あの、私が以前住んでいたアパートにいる連中は「定住性ヒッピー」だ。

しかし、今は「定住性ヒッピー」の、当時の同居人のマルクは、以前はヒッチハイクで日本やブラジルを横断しているから実は「旧・放浪性ヒッピー」だった。日本では長距離トラックの運ちゃんたちがとても親切で、家に招待されて色々美味しいものを食べさせてもらったと以前、話していた。

そういえばインドでは人生の一過点に放浪期というものがあると考えられていると昔、どこかで読んだ。
もしかしたらアーリア系の性なのか、ドイツでも失恋などを期に放浪に出かける話が歌曲などで歌われている。

日本人でも、以前、モスクワの空港で長時間待たなければいけない時に何となく話かけた人が、まとまった期間働いて、そのお金である日、ブラッと旅に出るのが趣味だと話していたから、島国で農耕民族とはいえ、放浪ヒッピー気質の人はいるようだ。

ハシリとしてはそもそも

「旅に病んで 夢は枯野を 駆け巡る」

と時世の句を詠んだ松尾芭蕉が挙げられるだろうか。

そういえば、この間知り合った著名な音楽家の方も、自転車で長距離ツーリングするのがかなり本格的な趣味だとおっしゃっていた。モーゼル河にそって延々と旅をしたり、黒い森を横断したりなさっているそうだが、何と言う偶然か、カロリーネが昔、この方に楽器を師事していたという。やはり、類は友を呼ぶのである。

歌曲に歌われるぐらいだから、人は誰もが、どこか放浪生活に憧れているのだろう。

実際、欧州には本物の定住しない放浪する民であるジプシーが存在するし、時を遡れば狩猟、採集生活をしていた奴らだから、どこか体に放浪生活に対する憧憬が染み付いているのかもしれない。

そうえいばヒッピーアパートの前にある草原にも、一時期、サーカスのキャラバンが生活していた事があった。
彼らはヒッピーアパートから電気や水をもらって生活していたいたらしく、旅立つ時に水と電気代を支払いに来たが、何台ものキャンピングカーに、ガチョウやロバなどの家畜まで連れていたから、あれは真性の放浪ジプシーだったかもしれない。

私はお腹が弱いので、あまりこういった大きな夢は見られないが、放浪とは言えないけれども、いつかドイツから鉄道を使って日本まで旅してみたい・・・などと夢見てはいる。


















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今回、値段の関係でモスクワ経由にて日本に飛ぶ事にしたのだが、トランジットの為にモスクワで17時間の待機時間を過ごさなければならなかった。

17時間が半端なく長いというのは元々予想していた事だけれども、よりによってここがモスクワである為に17時間もあっても出来る事がほとんど無い。

まず、ロシアはフリーパスと言われる日本国旅券で入国できない数少ない国の一つだ。
滞在許可を取得しないといけないから、空港から外に出る事が出来ない。噂に聞くクレムリンや赤の広場でウラーと叫びたかったとしたら、事前に領事館に滞在許可を申請しなければならない。

それは飛行機から降りた時に間違えてトランジットでは無く、入国手続の窓口に行ってしまった時に、係員のお姉さまに
「なんで滞在許可が無いの?」

と問い質されたので、やっぱ本当に駄目なのかとそれまで「まさか!」と半信半疑だった私は実感した。

それからトランジットの窓口で再びセキュリティーチェックを受け、空港内ホールに入ると到着したのが夜中の3時だと言うのに未だにDuty Freeの店などは煌々と営業中だった。

それにしても歩いていて思ったが、ロシア人で笑顔を見せる人は未だに少数だ。

深夜のはずなのだが何故か目が覚めてしまっていたので、弟に頼まれたオーデコロンを物色したり、マトリューシュカの相場などを格店で確認して時間を潰しているうちに眠くなってきた。
しかし眠りたいのは山々だが、ここは露西亜だから、うかつに油断して眠るのも心配だ。

どこかで上手く睡眠を取れないか場所を物色していると、空港の端っこの方に先ほどから中国語をしゃべる人たちが集まっている。彼らがあまり大きな声でしゃべらないのと、割と態度が大人しく、さらに中国語の発音が比較的平坦だった為、

「これはおそらく香港か台湾人ではなかろうか」

と私なりに目安をつけていた。彼らは流石はおおらかな中国系というか、露西亜にいるというのに堂々とベンチで眠りこけていた。
(ここら辺で日本人に割合近い台湾人では無さそうだと少し思った。)

ここでこの中国系に混ざっておけば、見た目は一緒で区別がつかないだろうし、周りはいかにもなブランド物を身につけた中国人だ。
その中で私はいつものスリ対策で全身、靴もあわせて5000円も行かないような格好だったので、スリがいたとしてもリッチそうな別の人を狙うだろうと検討をつけ、近くにそれっぽく座って混ざりこみ、少し仮眠を取らせていただく事にした。

そもそも普段から中国人に話しかけられたりする私だから、混ざって自分ひとり浮く事は、安っぽい服装にも関わらずまるで無かったが、一度目覚めて暇をもてあました時にパソコンをいじっているのを隣の人が不思議そうに覗き込んでいた。

「あれ?日本語じゃん?」

と思ったかもしれない。

そのうち彼らが搭乗口に向かって移動し始めたので、「実際はどこの地域の人たちだったんだろう?」と行き先を確かめたら、意外なことに香港でも台湾でもなく上海だった。
中国は長江から南は文化が違うと聞いているが、随分、北京辺りの中国人と雰囲気が違うものだと思った。
長い事、国際的な大都市だからなのか比較的洗練された雰囲気だった。

この辺りで大分時間がたったと自分では感じていたのだが、実際はまだ朝の7時で、私の飛行機の出発時間はなんと夜中の20時である。まだあと11時間もある。

以前、それこそ上海で5時間のトランジット待ちをした時も暇すぎてヒューマンウォッチングをして楽しんだが、流石に17時間はヒューマンウォッチングをするにも訳が違った。それでも既に4時間も潰せたじゃないか!と思い直し、少し移動してみる事にした。

飛行機に乗った時から思っていたが、ロシアは美男美女が多い。カッコいいお兄さんも数度見かけたが、どんなにカッコよくてもユーリーだとかドミトリーだとかウラジーミルとかいう名前で、私が今まで知り合った露西亜人たちと同じ様な性格をしているんだろうと思うとそこからさらに観察する気にもなれなかった。

どうも東欧人のメンタリティーが私は外国に出た時から苦手で、それがなんと今まで尾を引いてしまっている。

彼らの何がいやかと言えば、一言で言えば「隙あらば!」という感じで、例えば演奏会での控え室で、

「皆さんで自由に食べてくださいね!」

と主催者が用意してくれたフルーツを一人で3つ4つ食べた上に、さらに5つ6つ鞄に入れて持って帰って後から来た氷魚Tには何も残されていない・・・・というような状況を作り出すこと。

どうも彼らに譲り合いの精神があまり無い様に見えるのだが、不思議な事に、知りもしない他人にはそんな感じの彼らだが、一度知り合ってみるとものすごく情に厚い。

偏屈な私がそれでも友達になれた数少ない東欧人たちは、私が本当に困った時などに相談すると、自分の事などすっかり忘れて何としてでも助けてくれるという事が何度もあった。

だから私は一般的に東欧人は苦手だと思ってはいるが、そこをクリアして仲良くなった人たちは長年交流を保っていたりする。

極端な話だけれども、旧東ドイツのオーケストラで研修生をしていた時、何もわからないままドイツの辺境の町に一人でやって来た私にとって、彼らの情の厚さには実際、何度も助けられた事があった。

寒い冬の日に演奏会からの帰りに同僚が自宅まで車で送ってくれた時に、万が一、扉が開かなかったりして凍えたりしない様に、部屋の電気が点くまで外で確認してくれていたり何て事が当時よくあった。
今は変な気候が続いているからどうだかわからないが、その頃チェコの国境に近い東ドイツの冬はマイナス20度に簡単に達するほど寒かった。

言ってみれば、寧ろ日本人の方が、自分を犠牲にしてまでは中々他人には関わらないスタンスだったりするので、(これは特に音楽家の間で共通するものではあるが。)当時は冷たく感じたものだった。

しかし最近、おそらくはジェネレーションの違いによるものが大きいだろうけれども、16人共同部屋で住むようになってから、東欧人の悪い所の方が寧ろ目に付いて今までよりも苦手意識が育ってしまった。

16人共同となると、多人数であるがために一人一人との関わりが薄くなるから、共同部屋の中でエゴイスティックに振舞う人が必然的に多くなる。
大概の人間があまり知らない間柄だと、次に使う人の事、一緒に住んでいる他人を思いやったりする意味を失うようなのだ。

それで台所を使った後、綺麗にするとか、何人も共同で使うのだから、混んでいる時はうまく譲り合うとか、共同のものを壊さないように大切に使おうとする意識は必然的に低くなる。その程度が西欧人に対して東欧人の方がさらに低い気がしてならない。余裕が無いのかもしれない。

アジア人でも一部、「汚す」という事で有名な国の方が別の共同部屋でごくたまに問題を起こしているのを耳にするが、彼らのは国での習慣に基づいて悪気無くやってしまっているので、上手く(彼らの面子を潰さないように)伝えれる事さえ出来れば、改めて綺麗にしてくれる事もある。

対して東欧の連中はそこは

「どうせ他の人が汚すから一人で綺麗にしても意味が無いじゃん。」

という諦めモードにすぐに入ってしまうので、言っても無駄になる事が多い。
彼ら東欧人の特徴に「諦めが早い」というのは絶対に入るだろう。おそらく共産主義を経験した年代では特に多いだろうが、どんなに努力しても変えることが出来ないものがあるという経験を積みすぎてしまったのかもしれない。最後まで諦めない!という姿勢は希である。

あとは大雑把なやつも多いので、

「後はウォッカでも飲んで騒いでおけば、大抵の事は解決するのさ!」

と思っている可能性も高い。

なので私の東欧人に対する感情は言ってみれば複雑だ。

それにしてもどうしてこんな条件のモスクワ乗換えにしたのかと言えば、既に一回試しているのが大きいが、普通だったらモスクワという中間地点でのトランジットになるために、上手くいけば乗り継ぎ便にしては時間のロスが少ない事だが、しかし今回などはその利点が無い分、やはり安さだった。それに前回、乗った時に意外だったのが、結構機内食が美味しいのだ。

しかし17時間の待ちはやっぱりキツかった。うかつに爆睡でもしたら、そこはおそロシアの事だから、財布や持ち物がなくなりそうで恐ろしかった。これだったら南回りで23時間かけたりした方が機内で安心して爆睡出来る上に、南回りはリッチな産油国が多いから、荷物の重量規定などが甘くて良かったかもしれない。

何度か食事や仮眠をとりつつあと4時間という所に来たので、今まで居たホールを出て搭乗口に向かうと、新しく建て増しした空港の建物に続いていて、今までいたいかにもロシア!という空港ホールに比べたらどこもかしこもピカピカでバーガーキングもある。さらにそこではフリーでネットが使えるのに気づき、ネットさえあれば17時間を過ごす事などどうって事無かったのに!!と今更気づいた私は大きなショックを受けた。

さらに途中の待合ゾーンでは絨毯がひかれていて、横になって寝転ぶ人も多かった。

そこからやっとの思いで東京行きの飛行機に乗り込んだが、どうも安さのせいか、外人や日本人という違いに限らず、ヒッピーぽい姿の人や、いかにもバックパッカーな風体の人が多かった。
どうもヒッピーアパートでいつか共同生活をしてから、だんだん私自身がヒッピー文化に染まりつつあるのかもしれない。






最近、真剣に金欠病の凄まじい私は、ヒッチハイクサイト(Mitfahrgelegenheit Zentral)を利用して車の乗り合いで移動することがめっきり増えてしまった。

言うまでも無く、ドイツ鉄道の非常識な値上げも関係ある。最近、ヒッチハイクサイト利用者自体が増えた様に感じるのも、どう考えても鉄道の馬鹿高さによると思う。

ところで今回はスイス方面に移動だったのだが、行きはドイツ人でスイスの銀行で働いているお兄さんに乗せてもらった。

その時に話題になったのだが、もう一人の相乗りのお兄さんもよくヒッチハイクサイトを利用しているそうなのだが、スイス行きでは少ないがケルンの辺りに向かう連中が、ドイツのアウトバーンの1車線は速度制限が無いからと言って、平気で180キロ出して爆走する様な奴らばかりで恐ろしいとの事。

実は私も以前、ブリュッセルに向かうアウディに乗り合いさせてもらった時に、彼の言う所の180キロで、1車線で、追い越しかけて車間距離詰めて、右側通行の1車線の癖に常に左側にウィンカーだしてる危ない車に乗り合わせてしまったことがある。ものすごい攻撃的な運転で、いったいこの運転手はどんな人生を歩んできた人なのかと呆然としてしまった。乗っている間中、早く渋滞になれと祈り続けたのが記憶に新しい。

なのでお兄さんと「あれ、怖いよねー!!」と話していると、運転している銀行員さんは

「ああいうのは年齢によるんじゃないかな。僕も以前は180キロ好んで出してたけど、最近は速さの快感を追求するよりガソリン代のが気になるから定速運転を心がけてるしねえ。」

とコメントしていた。お兄さんは30代後半ぐらいだったが、思うに年齢は関係ないようだ。

今回は帰りの車も相乗りで、電話した時に既にこのノルベルトという運転手の兄ちゃん(後で話に聞いた感じでは40歳を超えている計算になる)は

「僕、スポーツカー乗ってて、ちょっとばかしスピード出すけどいい?」

などと言っていたので、また例の奴が出たな・・・と思い、もうあんな恐ろしい思いは真っ平なので別の乗り合いの車を探していたのだが、今回は何故か全て満席で見つからない。それにも関わらず、案外このノルベルトというお兄さんはこまめに連絡くれて親切でもあったので断るのも悪い気がして、結局乗っていく事になってしまった。

待ち合わせの場所で待っていると、颯爽と現れたのは漆黒のポルシェ。

まさかね・・・・とぼーっと見ているとお兄さんがニッコリしているので

「もしかしてノルベルトさんですか?」

と言うと当たりだった。

いつもの事だが、遠出する時、私はスリなどに狙われないように、出来る限り貧乏臭い格好にしている。
どうせ長距離を移動する時は途中で疲れて座り込んだりする事もあり得るから、綺麗な服では汚れるし、着慣れたヨレヨレのシャツとジーパンと擦り切れた黒靴という旅支度は、動きやすいし目立たなくてベストだと思い込んでいた。

そんなヨレヨレの私の前にポルシェが滑り込んできたのは、場違いはなはだしい光景だった。

ここには金髪でボディコンでも着て、ブランド物のハンドバックでも持った長髪の肉食系お姉さまがいなくてはならない場面だ。流石の私もどうしようかと戸惑った。

しかし考えても見たまえ!ポルシェに乗れることなんて人生そうそう無いのではないだろうか?
・・・・と気分を持ち直させて、お兄さんと握手と挨拶をして緊張しながらポルシェ様に乗り込んだ。

中は素晴らしいオーディオ装置が内蔵されていて素敵な音楽が流れており、

「なんでこの兄ちゃん、ポルシェ買う金があるのに乗り合いなんかしてるんだろう?」

と思ったが、やはり昨今のガソリン高のせいであろう。途中でパートナーにお兄ちゃんが電話していた時に、

「100キロぐらいしか走ってないのに10リッターも使っちゃったよ。」

と話していたのが耳に入った。こういう話を聞くたびに、トヨタのハイブリッドカーがリッター30キロも走るというのがどれだけすごいのか思い知るわけだ。

今までも乗り合いの恩恵でアウディやBMWに乗り込んでドイツのアウトバーンを走った事があるが、この二つでも相当、走り心地が違う。ポルシェ様はいかほどか??と期待したが、車高が低いせいもあり、思ったほど快適では無かった。きっとカーキチたちは、あのエンジン音などに惹かれるのだろう。

ところでちょっと前に、同業者の中でも超エリートの部類に入るMさんという方の車に乗せていただいたことがあり、彼も相当メカが好きな人でセスナ機の免許まで持っていらっしゃる凝りっぷりなのだが、彼の車の乗り心地は最高だった。車種は訊き損ねたが、1990年代の車を敢えてまだ乗りこなしていらっしゃる所にこだわりを感じた。

あの時も普通に180キロ出していたが、その時にポルシェの話が出て、

「ああいう300キロとか出る車はな、ブレーキから開発しはじめるんやで。」

とMさんがおっしゃっていた。300キロ出してもすぐに止まる事が出来るブレーキを開発してから、300キロ出せるエンジンを載せるのだそうな。

その話がどうやら事実だというのをポルシェ様に乗っていて感じた。

まず、加速が半端無い。

アウトバーンの1車線を走っていて、前の車がびびって道をポルシェ様に譲って前方に道が開けると、ロケットみたいに加速して周りの車をぶっちぎっていく。

よく私は追い越される方の車に乗っていて、隣をふっとんでいく明らかにカーキチの車を見かけていたが、今、自分がそれに乗っている立場なわけだ。

見たくない・・・・と思いつつ、横目で速度を見ると、軽く200キロ出していた。それにしても加速して200キロに到達するまでの早さが半端無い。

さらにこのノルベルトさんは、たまに前方に邪魔になる車がいると、性質が悪いことに車間距離を詰めて追っ払おうとするのだが、その時のブレーキの性能が凄まじい。

加速してギリギリまで来てからブレーキで瞬時に減速するのだが、かなりヒヤッとする所まで速度を落とさない。手を見ると明らかに指から汗をかいていた。嫌な汗だ。

それでも以前、ブリュッセルに行った時の運転よりは少しマシだった。あれは運転に悪意を感じたが、この兄ちゃんはぶっとばすのが好きなだけという感じを受けた。

それにしても一体全体、ポルシェなんか乗ってるこいつは何者なんだ?と思ったが、しばらくして彼が血糖値を測っているのに気づいた。おそらく糖尿病の若いうちにかかってしまうやつなんだと思うが、そういう事もあって、きっとこの人は太く短く生きるつもりなのではなかろうか。

話をしている感じでは至極普通の応答をしてくるし、別に苦手な感じも受けない。

後になって話していてわかったのだが、実はポーランドの南部の生まれでマルティナちゃんの同郷だった。

多分、国民性だと思うのだが、ポーランド人というのは、私の知り合いを見渡す限り、あんまり物事を深く考えないで、とにかく行動に移すタイプが非常に多い。ヘタリアに出てくるポーランドの性格はかなりいい線を行っている。

そこも考慮に入れれば、ポーランドの成金ならポルシェくらい乗っていても何の不思議も無い。
ドイツ人はこういう所はシビアでケチだから中々こういう使い方はしまいと思う。BMWに乗るので充分だろう。

それにしてもだ。トヨタやフォルクスワーゲンに乗っている時はBMWやアウディ、メルセデスにがんがん抜かされて行くというのに、ポルシェで加速して追い抜きをかけると、あのBMWやメルセデスがびびって道を空けるのだ。

そういう訳で、ポルシェ様にブロンドの兄ちゃんと乗り込むという、確かにあんまり出来ない経験は出来た。

しかし、お兄さんとヨレヨレの私とポルシェといういかにも不自然な組み合わせのお陰で、スイスからドイツへの国境付近でパスポート検査につかまり時間を取られるわ、お兄さんが調子乗って加速と減速を繰り返すもんだから無駄にガソリンを食いやがって、後で割りカンにするガソリン代を普段よりも多めに取られた。

もうポルシェは懲り懲りだ。金欠病の私は少しでもお金がかかる事は大嫌いだ。

お兄さんはちなみに、真夜中にポーランドからデュッセルドルフまでポルシェのフルスピードである300キロでぶっ飛ばして5時間20分くらいで移動したことがあるらしい。かなりガソリンを食ったそうだ。

もし私が車を買うとしたら、トヨタの燃費のいい奴で充分だと思った。ハイブリッドカー万歳!!





どうにも遅筆の私はしばらく書いていないうちに新しいネタばかりが頭の中で膨れ上がってしまう。

マカオの続きも書きたいのは山々なのですが、それを推敲する間に新しい話も出てきたのでそちらを先に書いてしまいます。

先日、私は再び経費削減のためにヒッチハイクサイトでスイスへの移動のための相乗りさせてもらう車を探していた。

いくつか出発地と目的地が一致した乗り合いが存在したのだが、3つほど問い合わせてみたのだがどれも満杯だという理由で断られてしまった。

そのどれもがスイスの携帯電話の番号でドイツ系、もしくはフランス系の名前だったのだが、一つだけイマームという、なんとなく中東・イスラム系の名前が目に入った。出発地、目的地への条件も完璧だ。

ちょっと大丈夫かな?と思わないでもなかったが、なんとなく大丈夫だろうという第6感を信じて連絡してみると、やっといい返事がもらえたではないか!

それで旅支度を整え、待ち合わせ場所の中央駅北口へ向かうと、現れたのはやはりトルコ人ぽい感じのおじさんだった。

しかし車の中で見てみると南米系にも見えなくも無い。いったいどこの国の人だろうと思いつつ、どのタイミングでそれを質問したらいいのか私はタイミングを推し量っていた。

もう一人の相乗りはアフリカの多分、スーダンから来た人で、(よく聞こえなかったが初めが「ス」だった。)カールスルーエで仕事が決まったので移動するのだと話していた。

その時におじさんが

「僕もカールスルーエには2年ほど住んでいたからよく知ってるよ!カールスルーエのどこで降ろしたらいいかな?」

と話し始めたので、私も話しに加わろうと、

「そうなんですか?私も一時期、カールスルーエにいましたよ。とても綺麗な街で住み心地がとても良かった!」

と話すと、おじさんも打ち解けてきて、おじさんもカールスルーエが大好きだったこと、でも今はフランクフルトで空港の仕事をしているのだと言うことなど話してくれた。

「君はちなみに日本人?韓国人?」

と訊いて来たので

「日本人ですよ。でも95パーセントぐらいの確立で中国人と間違われるんですけどね!」

というと、

「いや、中国人じゃないのはわかっていた。君の雰囲気は全然中国人とは違うよ」

とやけに確信的に言うのでその時はなんでだろう?と思ったが、その後で

「おじさんはどこから来た人なのですか?」

と訊くと、なんと東トルキスタン、つまりウイグル人だと教えてくれた。

アフリカ人のお兄ちゃんはそうは言われてもどこかわからない様だったので、すかさず

「それはシルクロードの入り口の辺りですよね。あの辺りの砂漠で昔、随分と中国が核実験をしたと聞いたことがあります。」

と話したら、

「そうだよ。だから中国は大嫌いなんだ!」

とおじさんは語りだした。

「あ、だからおじさんは私が中国人じゃないってわかったんですね?じゃあ、パスポートはもしかして中国なんですか?」

とちょっと差し出がましいことまで私は訊いてしまったが、おじさんはもう亡命してドイツ国籍を取得したのだそうだ。


「本当に良かったですね。私が聞いた情報では、中国では漢族以外はものすごい権利が少ないと言う事だったので・・・」

と言うと、


「そうだよ。チベットやウイグルはいつも迫害されてきた。共産主義って言うのはひどいもんだよ。ひどい環境を訴えてデモなんかしても、国に逆らった発言をしたら殺されちまう。だから出てくるしかなかったんだ。」

と身の上を話してくれたが、今まで上海で出稼ぎをして出国するためのビザのお金を稼いだり、随分苦労の多い人生だったようだ。よく見るとその苦労は、そのままおじさんの顔に刻まれていた。

同じ様に出稼ぎで国を出てきたであろうアフリカ人のお兄さんにおじさんは愛着を感じているらしく、途中のカールスルーエでお兄さんを降ろす時に

「頑張れよ!俺のジェームズボンド!」

と暖かく声をかけていた。ただ、なんでジェームズ・ボンドなのかは謎だったが、お兄さんもぶんぶん手を振って別れを告げていた。

その後、高速道路の休憩所で次の乗り合いのドイツ人女性を乗せることになっていたのだが、待ち合わせ場所に着いておじさんが彼女にいくら電話しても電話に出ない。

「彼女、バーゼルまで乗り合いお願いするって言って来て、俺の車以外に可能性が無いから絶対来いって行ってたくせに何で電話に出ないんだろう?」

と首をかしげつつ、応答が無いので走り始めてしばらく経つと電話が鳴った。

流石におじさんも切れて

「僕たちも休憩所で探し回ってたのに見当たらなかったじゃないか。せめて外で待って探すとか出来なかったのか?さらに電話に出なかったらこっちだってどうしようも無いじゃないか!!」

と相手に怒っていたので、大概の相乗りで良くあるように「僕たちはもう出発しちゃったからどうにも出来ないよ!じゃあね!」とおじさんも言うもんだと思ったら、

「2キロ先の休憩所で待ってるから今すぐ来い!」

とおじさんはヒッチハイクの相乗りにしては、かなり親切な提案をしてあげていた。

果たしてドイツ人女性は彼氏の運転する車でしばらくしてから現れたが、お陰で私たちは30分ほどロスをくらったわけで、おじさんはそれに対しては内心結構怒っていた。

それでも見捨てて出発しないで待っていたというのは、かなり親切だと私は感心していた。
しかし隣に座っているドイツ人女性はどう見てもトルコ系のおじさんを見て、怪しいと思ったらしく、ものすごい警戒心をおじさんに対して放っているではないか。

自分が待ち合わせ場所でちゃんと探しやすい場所にいないで彼氏とくっちゃべっていたんだろうに、さらにおじさんがわざわざ親切にその後で休憩所で待ってくれていたのにこの態度はいったい何なんだよ?!と流石の私もあきれたが、何の苦労も無く白人として生まれ育って、外国人なんて犯罪者だと決め付けている奴らは普通に多いのだ。世間なんてこんなものなのかもしれない。

それでも、おじさんが気の毒になったので両方に話題を色々振ってみたが、このドイツ人女は私の話には答えるが、やはりおじさんにはあまり話しかけない。

人を見た目で判断してはいかんなあ・・・と流石に他山の石を思わされた。

彼女はバーゼルで降りて行ったが、高速道路沿いにあるという理由で、バーゼルの中央駅ではなく、その手前の。バーゼル・バード駅というスイスとの国境のドイツ側の駅で降ろすことになった。

その事についておじさんは

「普通、車に乗せてあげた相乗りの人は、なるべく自宅近くまで運んであげたいのにすまないねえ・・・」

と言っていたので、流石のドイツ女も少し和んだ様で、

「いえいえ、高速道路沿いだし便利ですから充分ですよ!」

と返していて少しホッとした。

その後、おじさんにウイグルの文化について色々質問してみた。

言葉はトルコ語だろうと思っていたが、やはりそうで、古いトルコ語の特徴を今でも残している言葉だそうだ。
食べ物はやっぱりトルコ風なのかと思ったら、意外にも麺類やスープが多いそうだ。

「ウイグルっていうと、シルクロードのイメージで憧れるんですけど、あそこで仏教が西方の一神教の影響を受けて、阿弥陀仏や妙見菩薩となって、その後に日本にまで流れてきたと私はどこかで読んだのですが、今はイスラム教なのですか?」

と訊くと、やはりイスラム教なのだそうだ。ラマダンの断食もするそうで、今は仏教などの宗教は一様に共産党に消滅させられてしまったとのこと。

「今の中国人は金しか信じてないんだよ。」

とため息をついていた。

それにしても、亡命して国を出てきてしまったから、もう国には戻れないと言っていたけど、故郷に2度と戻れないなんて私には想像もできません・・・・と正直に言うと、

「でもいつの日か中国が民主化したら帰るんだ。その日が一刻も早く来るのを祈ってるんだ!」

と話してくれた。やっぱり、どんなに迫害された場所でも、故郷には帰りたいんだなあ・・・と思った。

私がYou Tube で見た事のあるウイグルは核実験か放射性廃棄物によって放射線量が非常に高くて、さらに中国政府の役人のひどい扱いに耐えかねて暴動が頻繁に起きているが、メディアが踏み入れることは厳しく規制されている大変な場所だった。

そこから亡命してきたドイツで、9ヶ月になる娘が誕生して幸せそうなおじさん・・・・(と、いうか、改めて見直すと、どうも苦労しているから老けて見えていたのかもしれないが、どうもよく見たらまだお兄さんと言える年代のようだが)それでもいつか故郷に帰りたいんだな・・・と切なくなった。

おじさんはウイグルに興味を持たれたのが嬉しかったのか、今度フランクフルトに戻ったら、ウイグル料理を振舞ってやるから連絡してね!と招待してくれた。

マカオに行った時も、生まれた国によって人生がここまで違ってしまうのか・・・と、あまりの中国内での格差社会をフィリピン人やインドネシアからの出稼ぎの人たちを見て思ったが、ここにも同様の思いの人がいた。

日本に生まれたという事の幸せを彼らになんだか申し訳なく思い知らされた。

ただ、おそらく彼と同じように放射能によって故郷を去らざる得なかった原発の被害に遭われた方も同じ日本に生まれたのだ・・・・。









仕事やオーディションの関係でどうしても宿泊費を切りつめたい事が多い私は、ユースホステルを初め、バックパッカーホステルなどによく滞在する。この二つは似て非なるもので、利用条件によって使い分けている。

個人的にはバックパッカーホステルは実はなるべくなら避けたい。

何故ならドイツ国内でよくあるのだが、男女混合でのドミトリータイプに泊まるはめになったりするし、朝食もついていない事が多いので、ユースホステルの方が結局、朝食が付く分、割安の上に過ごしやすく感じるのである。

「朝食」と言っても、大概そこでパンにハムやチーズを挟んだサンドイッチ状のものを3つ作り、「朝飯用」「昼飯用」「晩飯用」にしてバッグにさっと隠し入れたりする場合がほとんどなので、どれだけ割安になるかは計り知れない。特に北欧やスイスではバカみたいに物価が高いので必須である。

私などはいつもこれをやっているために遂に習慣化してしまい、オーケストラの仕事先でちゃんとした3つ星ホテルを手配してくれた事があったのにも関わらず、その時も無意識のうちにホテルの朝食のビュッフェでこれをやってしまい、ハッと我に返った時には他のオーケストラの団員にそれを見られてしまい、気まずい思いをした事すらある。

でもその時はその後、バス移動5時間だったから、結局そのサンドイッチはとても役に立ったのだが。

ところでバックパッカーホステルである。
男女混合ドミトリーは言うまでもなく快適なものではない。

一度、ユースオーケストラのプロジェクトでミュンヘンでバックパッカーホステルに1週間滞在させられたというのが、確か私の初めてのバックパッカーホステル体験だったと思う。この時も男女混合部屋だった。

しかし、同室の人が鼾がうるさかったり、上の段のベットにあまり風呂に入らないタイプの人が寝ているらしく、臭みが夜降りてきたりで散々だったが、自分にとって全く無理な体験では無かった。

まあ、それも同じユースオーケストラの別の団員たちも同じ部屋だったという安心感も大きかったかもしれない。

それでもバックパッカーホステルに対する免疫がこの時に出来てしまったので、移動でホステルへの到着がどうしても遅くなってしまう場合や、次の日の出発時間が早くて滞在時間がどうせ数時間・・・・などという場合にだけ割合普通に利用する事にしている。

何故ならユースホステルの最大の難点は、受付時間が18時まで・・・などと割合早い場合が多いのだ。
(それでも鍵をナンバーロック制のロッカーに入れてくれてなんとか出来る場合も割合ある。)

その最大の難点を解決できるのが大概、バックパッカーホステルの方で、受付は24時間である場合も多く、大概は0時までは開いている。

そうは言っても、男女混合部屋バックパッカーホステルで気まずかった経験はある。

この時は初めに英語圏、おそらく米国人男性ばかり7,8人もいる部屋に通されて

「マジかよ?!流石に部屋変えてもらおうかな・・・。」

と即決心して文句を言おうとした所、ホステルの人が

「こちらのミスで違う部屋に通してしまいました!あなたの部屋はこちらです。」

と後から訂正して来た。

正直ほっとしつつ、行ってみたものなら、なんと今度は日本人の男性と二人きりの部屋だった。
これはお互い非常に気まずかった。

話に困って、ちょうど開催されていたサッカーの欧州選手権の話などで気まずさを紛らわしたぐらいだ。
そりゃそうだ。日本のユースホステルでもバックパッカーホステルでも、これだけはあり得ないだろう。
(と言っても、最近の日本を知らないから、もしかしたらあるのかもしらんが。)

これは後でネタにしてよく話していたら、やっぱり同じ経験をしたインド人女性もいて、やはりインド本国では知らない男女で一緒の部屋に泊まるなんて事はあり得ないから非常に困ったと言っていた。
(そこは突っ込まなかったが、インドなだけに、カーストによる制限もあるのではないかとも思った。)

私の場合はいつも用事があっての事だから、今までホステルに泊まった時は全部一人旅だったが、そのせいで旅先で知り合いになってしまう事も多かった。今となってはそれが楽しみの一つでもある。

相手も同じく一人旅だったり、団体であっても食事を作る時にいつも居あわせたりして、少しずつしゃべったりするのだが、ホステルだからか、気軽に話せる人々が多い。まあ、要するにバックパッカーが多いということだろう。

毎回、食事の時間になると一緒になる東洋人家族がいて、いつも男性が頑張って食事を作っているのでおそらく中国人だろう・・・と観察していたら、ある時、向こうから話しかけて来て、香港人の夫婦ふた組だった事があった。話してみたら非常に気さくな人たちで、

「男性が料理するなんてびっくりしたよ。私の父親なんて台所に立っている所を見た事ないのに!ちなみに女性は何するの?」

と訊いてみると、指示をするそうである。確かに現場監督みたいだった。

50代くらいの夫婦だったが、全員、英語がべらべらなのがいかにも香港人でかっこよかった。
おまけに作ったものを分けてくれたりして親切だった。

別の時にはたまたま同室が日本人の一人旅の女の子で、私もその時は仕事先でストレスを溜めていたがエキストラとして行っていたから話せる人もおらず、お互い色々しゃべったりして楽しかった事があった。

どうやら大学のプログラムの一環で、語学研修の最後にクラス全員がそれぞれ自分で企画して一人旅にあちこちに旅立って、最後にフランクフルトに集まってそれぞれの旅を報告し合うのだそうである。
楽しそうな企画だ。

この時はスイスだったのだが、他のメンバーたちはウィーンに行ったり、アムステルダムに向かったり、プラハに旅立っていったそうである。

この子とは帰りの電車も一緒になったのだが、最後まで名前も聞かなかった。袖触れ合うも多生の縁というから、名前くらい訊けば良かったな・・・後からふと思った。

ちなみに意外によく出会うのがジャーナリストという職種の人たちで、実は各地で3人ほど出くわしているから、皆さま取材費をやはり浮かせるために頑張っているのだろうか?彼らの国籍も、オランダや台湾、中国、アルゼンチンだったかブラジルだったかでバラバラだ。会った場所もストックホルムだったりスイスの湖畔だったり、色々だった様に思う。

彼らも職業柄なのか色々しゃべるので、気兼ねなくて良い。

そういえば日本のユースホステルでも同室のおばちゃんと仲良くなってしまった事があった。

勿論、変な奴も結構いる。いかにも東洋人大好きです・・・みたいな変なオヤジとか、全然話をきかないフィンランド人だとか、うざったい奴だと思って上手くかわしておいて、次の日に明るい所で見たら不自然にやつれていて、絶対薬物やっているだろう!という顔つきだった奴もいた。ああいうのは情緒不安定だったりするから、うかつに喧嘩売らなくて良かったとその時は思った。気をつけたい。

特に去年はやたらユースホステルやバックパッカーホステルにお世話になった。
慣れてくれば台所がついていて自炊が出来たり、洗濯機も大概置いてある上に、インターネットがタダだったりする事もあるので非常に便利である。(勿論、有料の事も多い。)

今までは全部用事で利用してきているが、一度、友達同士の旅行などでも利用してみたい素敵なユースホステルにもいくつか出会っている。スイス湖畔のあるユースホステルでは焼き立てパンを食べる事が出来た。

既に私はほとんどバックパッカーなのだが、旅自体が目的のバックパッカーも一度やってみたいと思うのだった。

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スイスのユースホステル。
窓からボーデンゼーが眺められて美しかったです。


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